宇陀市榛原から菟田野辺り  その6
 大願寺(TEL 0745-83-0325)

 「阿騎野・人麻呂公園」から国道166号に出て、バス停「大宇陀」の手前を西へ上がると真言宗御室派仁和寺の末寺・薩垂山(さったさん)成就院「大願寺(別名、七福寺)」です。創建は聖徳太子が蘇我馬子に命じて建立され、本尊は、724年(神亀元年)徳道上人が彫った弘仁式の「十一面観世音菩薩像」で、火災に遭っても焼けなかったので「焼けずの観音」と云われ、「災難除け」にご利益があり。なお、当寺は歴代城主織田信雄、高長、長頼、信武らに厚く信仰され、山門の額は、信武の直筆で、境内の「毘沙門堂」も信武が建立し、安置の「毘沙門像」は室生山の大杉で作られ、県下で数少ない「仏足石」等もあります。
 大蔵寺(TEL 0745-83-2386)

 「宇陀市大宇陀」からバスに乗り国道370号線のバス停「大蔵寺前」で下りて、山道を西へ約1キロ登ると、真言宗豊山派・雲管山医王院「大蔵寺」です。第31代用明天皇の叡願で、聖徳太子が建立し、後に空海が入山し真言宗の道場にされ、更に第52代嵯峨天皇の臨幸があり、勅願を賜って、勅願寺になり、中古には十八箇院の末寺を有し、宇陀、吉野の山間部三名刹(室生寺吉野山と共に)の1つで、1601年(慶長6年)寺領550石を加ふされたけど、近世に衰微し、重文の「本堂」は四注造、鎌倉中期の建立、重文で秘仏の本尊「薬師如来立像(立木の薬師)」は一木造、彫眼、第52代嵯峨天皇と空海の合作です。
 重文の「御影堂(みえいどう)」

 本堂の脇に建つのが宝形造の「御影堂」で、堂内に空海37歳時の姿を彫った「等身座像」を安置し、古来より「厄除開運の御影」と称され、当「御影堂」は空海を祀るお堂としては、日本最古の堂宇で、「大蔵寺」は、「元高野(もとこうや)」とも呼ばれます。また、「御影堂」の脇に建つ県重文の「石造十三重層塔」は、1240年(延応2年)2月4日宋人(大唐口州の人)伊行末が造り、我が国石造美術史上極めて地位が高く、石造十三重塔様式の本源をなす名塔で、他に戦時中供出免除の鐘を吊す「鐘楼門」、岡倉天心が明治41年8月15日寄進した「辨事堂」もあり、堂内に「兒授(こさずけ)地蔵尊」を祀っています。




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