伊賀上野  その15
 西蓮寺(さいれんじ)

 なお、常住寺の上の散策路を南へ辿ると「ふるさと芭蕉の森公園」で、そちらへ回って戻らずに下りて、更に南へ向かうと、天台真盛宗別格本山「西蓮寺」があり、77段の石段を上って山門をくぐると、本堂の前に上野市指定文化財の「石燈籠」が建っています。1654年(承応3年)上野城代初代家老の藤堂采女元則が寄進した燈籠です。また、本堂の脇には県指跡「真盛上人御本廟」があり、1443年(嘉吉3年)三重県一志郡一志町大仰で生まれた真盛(しんぜい)上人は、大津坂本の「西教寺」を中心に教化、礼儀の道を正し慈悲正真の心がけを説き、生前に第103代後土御門天皇より、「真盛上人」の号を授けられて、
 「安井九兵衛」寄進の「燈籠」

 また、1495年(明応4年)2度目の四十八夜念仏会の際、急に遷化した「真盛上人」は、第104代後柏原天皇より「円戒国師」を、明治天皇より「慈摂大師」を勅諭され、廟正面の額「慈摂」は、昭和天皇より下賜された勅額です。なお、本廟の前にも、1つ石燈籠が建っています。燈籠の竿に「奉寄進貞享三年丙寅年(1686年)十月十五日大阪堺筋日本橋安井九兵衛定元」と刻まれ、定元は大阪道頓堀を手掛けた安井道頓の第三代目の当主で「幽ト」と称しました。また、道頓は、藤堂藩の請で、藩の御用金を融通し、その代償に塩の一手販売権を握り、藩の治水事業にも功績があり、そこ縁で定元が燈籠を寄進した様です。
 「西蓮寺」の市指定「鐘楼門」

 なお、「西蓮寺」には、重文の絵画「絹本著色藤堂高寅像」や、県文化の「絹本著色星曼荼羅図」、「紙本墨書真盛自筆消息」が所蔵され、墓所には、伊賀市の史跡に指定されている上野城代家老藤堂采女家歴代の墓が29基あり、その中の1つは伊賀地域最大級の墓碑です。また、市史跡で芭蕉の高弟「服部土芳」の墓もあり、また、「鐘楼門」は、上野市指定建造物で、1739年(元文4年)常念仏3万5千日回向記念に建立され、棟高7.8m、入母屋造1重2階、高欄付の回縁を持ち、3間1戸の四脚門で、本瓦葺楼上に、応仁の乱後一休禅師が再興した京都「大徳寺」の清巌和尚の書になる「医王山」の扁額が掛かっています。



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