生駒山周辺と信貴山まで  その20
 平群町椿井(つばい)の「椿井井戸」

 「烏土塚古墳」から下りて、西へ向かうと春日丘の住宅地を抜けた所が近鉄生駒線の「竜田川駅」です。線路に沿ってちょっと北へ行って、踏み切りを渡り、竜田川の「協和橋」を渡って、国道168号線を横断して更に東へ行くと、矢田丘陵の麓に「椿井井戸」があります。昔、平群神手(へぐりノかみて)将軍が、聖徳太子に従って物部守屋を征伐する時、ここに椿の杖をつきたて戦勝を祈願しました。すると、一夜にして杖が芽吹いて葉が繁り、傍らから冷泉が湧きだし、汲めども尽きず、これは戦いへの瑞祥であると大いに喜び、太子と共に飲んで、兵士にも振るまうと士気が大いに上がり、物部守屋に大勝しました。以来「椿井井戸」と称され、これが地名の興こりになりました。
 宮裏山古墳

 「椿井井戸」の北側にあるのが「常念寺」ですが、また、道を東へ上がると突き当たって、左へ曲がると「平群氏春日神社」ですけど、そのまま山へ登ったら「宮裏山古墳」があります。直径約15mの円墳で、墳丘は、西側がやや崩れ、石室天井の一部が露出していますが、横穴式石室の全長は8.8m、玄室が長さ4.02m、幅2.20m、高さ3.3m、各壁面は割石を小口積みにし、いずれの壁面もほぼ直線的で、横断面は台形状です。天井石は三石で、奥へ向かって次第に高くなり、羨道は全長4.6m、幅1.25mで、高さ1mです。天井石は四石ですが、本来は五石で、中央の一石が崩落したものと考えられています。
 県指定史跡「宮山塚古墳」

 「宮裏山古墳」から下りて、また元の道へ出たら、右へ曲がって北へ行くと直ぐ、「平群氏春日神社」が鎮座しています。すなわち、「宮裏山古墳」の名称は古墳が「春日神社」の裏山にあるので、そう呼ばれていますが、「春日神社」の境内にも「宮山塚古墳」があります。直径約17mの円墳で、横穴式石室は左側壁面で全長4.83m。玄室は長さ4.21mで、幅2.9m、高さは奥壁付近で3.14mです。また、玄室の壁は割石の小口積みで、高さ約1mまで垂直に積み上げ、それ以上は持送りの穹窿(きゅうりゅう)式で天井を一石で構築し、築造年代は、5世紀中期〜末期と推定され、奈良県で最も古い時期の古墳です。




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