生駒山周辺と信貴山まで  その19
 龍田大社(TEL 0745-73-1138)

 近鉄「信貴山下駅」から南へ向うと、三郷町立野に「龍田大社」が鎮座しています。崇神天皇の御代、風水害で凶作が続き、占ったら天御柱命(あめノみはしらノみこと、志那都比古命、竜田彦)と国御柱命(志那都比売命、竜田姫)の祟りと判ったので、幣帛(へいはく)を整えて、「龍田の立野の小野」に風を司る二柱の神を祀ったら、五穀豊穣になり、万葉集巻9−1748や、源氏物語にも記載され、毎年6月28日〜7月4日、7日7夜行われる風鎮大祭は、676年(天武天皇4年)に始められ、約1300年の歴史があり、その年の風難除去を祈り、特に最後の日が盛大で、午前10時頃から「龍田神楽」を奉納されます。
 神南備(かんなび)神社

 「龍田大社」から南へ下ると、JR大和路線「三郷駅」に至りますが、その手前、道からちょっと上がった高台に「神南備神社」が鎮座しています。なお、神南備とは、神様がおられる所、降神、祭祀の場所である神聖な山や森を云い、ここ三郷町立野の神南備は三輪飛鳥の神南備と共に有名で、万葉集にも詠われ

 清き瀬に千鳥妻喚(よ)び山の際(ま)に
 霞立つらむ甘南備の里  巻7−1125

 神南備の伊波瀬(いわせ)の杜の呼子鳥
 痛くな鳴きそ我恋益(まさ)る 8−1419
 傳龍田本宮「御座峯」の石碑

 JR大和路線「三郷駅」から北西の山へ向うと、昔の龍田越えの道で、古墳のある所から広場を通って登ると、四等三角点のある三室山(標高137.3m)に展望台があり、更に登って、大阪府柏原市に入り、傳「龍田神社本宮阯」の石碑を右上に見て登ると、林道(龍田越え)を抜けて、信貴山へ向う「府道183号本堂高井田線」を右(北)へ進むと、左側の急斜面を登った所が、「龍田大社」の西方に聳えている龍田山(標高312m)で、今は観光地図にも記載されず、粗末に扱われているが、この山頂が風神降臨の地で、傳龍田本宮「御座峯」の石碑が建って、毎年7月第1日曜「風鎮大祭」の折に、参詣してお祓いされます。
 信貴山奥の院(TEL 0745-45-0157)

 信貴山朝護孫子寺から山道を北へ約2キロ行くと、高野山真言宗信貴奥院米尾山「多聞院」があります。聖徳太子らが物部守屋を討伐して、凱旋の後、太子自ら彫られた本尊「汗かき毘沙門天王」を奉祈し当山を建立され、昔は信貴山の塔頭の1つでしたが、現在は信貴山「奥之院」と称し、大和北部八十八ケ所第45番霊場で、焼米が地中より出て、「焼米涌出の霊場」として知られ、多聞天の変身した姿の秘仏「毘沙門天立像」を毎年正月と7月3日の大祭に開扉され、境内の「深沙(じんじゃ)堂」の祭神「深沙大将軍」は、砂漠で三蔵法師を助けた印度の竜神、水軍の大将で、また、楠正成は幼名「多聞丸」を当院で貰いました。
 式内社「石床(いわとこ)神社」

 信貴山「朝護孫子寺」から山門を出ないで、北東へ約2キロ行くと「奥の院」があり、そこから東へ行き「平群西小学校」の横を通って近鉄生駒線竜田川駅の方へ向かって下る途中に「石床神社」が鎮座します。元は南へ300m上がった旧社地に祀られ、そこには今も高さ6m、幅10mの御神体である巨巖(陰石)がありますが、大正5年に現在の消渇(しょうかち)神社境内の奥に合祀されました。拝殿の前の狛犬は、天保5年(1834年)のもので、更に奥の石灯籠は古くて、寛文7年(1667年)に奉納され、また、瓦葺の覆屋内に3つの社殿があり、中央に石床の神、左右に太玉命と本来の祭神素盞鳴命を祀っています。
 県の史跡「西宮(にしのみや)古墳」

 「石床神社」から東の「竜田川」の方へ下りると、平群中央公園に至り、平群町西宮(へぐりちょうにしのみや)中尾の西から東へ突出した廿日(はつか)山の南斜面に「西宮古墳」があります。丘の中段に築造され一辺約36mの方墳で、墳丘の全面に貼石を施して三段に築成し、南に開口する横穴式の石室が表面を平たく整形された切石で構築され、玄室は目地に漆喰(しっくい)を詰め、奥壁、側石、天井石がそれぞれ一枚石で積まれ、羨門(せんもん)部で須恵器(すえき)の坏蓋(つきふた)や、高坏片が出土し、石室内には凝灰岩を刳り抜いた石棺の棺身が残っており、築造年代は7世紀中頃の古墳時代末期と推定されています。
 旧村社「平群神社」

 「平群中央公園」から東へ向うと、直ぐ融通念仏宗城峯山「来迎寺」で、その隣が西宮集落の北端に鎮座する「平群神社」で、俗に「西宮」と称し、近世には「春日大明神」と呼ばれていました。祭神は、山野を司る大山祇神(おおやまずみのかみ)で、平群氏の祖武内宿弥(たけのうちのすくね)が、神功皇后と共に朝鮮へ出兵の際、戦勝を祈願して、この地に祀ったと伝えられ、武運長久と共に、後に五穀豊饒、家内安全の守護神として信仰を集め、延喜式神名帳に、「平群神社五座」とあり、神宮寺として龍華山「西宮密寺」があったが神仏分離で廃絶して社務所となり、仏像、仏画、扁額は西隣の「来迎寺」に保管されています。
 国の史跡「烏土塚(うどづか)古墳」

 「平群神社」から近鉄生駒線沿いに南へ500m行くと「竜田川駅」で、右折して、西の春日丘住宅地へ向かって坂を上がり、3筋目の辻を右へ入ると、史跡「烏土塚古墳」です。竜田川西岸で南北に延びる独立丘に築造され、平群谷で最大規模、全長60.5mの前方後円墳で、西側の階段を登って、頂上から南側へ下ると、後円部で巨石を用いた両袖式横穴式石室が南向きに開口し、中に彫刻をした組合せ式石棺があり、発掘調査で、埴輪、土器類、四獣鏡、玉類、太刀・鉾の武具、馬具等の副葬品が多数出土し、石室前庭部で埴輪を用いた祭祀跡が確認され、6世紀後半の築造と考えられ、県下で最後に埴輪を使用した古墳です。




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