磐余(いわれ)の道と多武峯街道  その8

 談山神社の「東大門(とうだいもん)」

 談山神社の東入口「一の橋(屋形橋)」の直ぐ上にある、両袖付きの高麗門が談山神社の「東大門」で、本瓦葺き、左右に木柵が付けられています。中央は、板扉で、南側の袖はくぐり戸になっています。脇塀の垂木(たるき)の墨書から、享和三年(1803年)建立と認められ、社寺の表門に、城郭風の門を用いた例として数少ない遺構の1つで、貴重なので、奈良県指定文化財です。なお、「東大門」の横(一方通行)の道脇に、「女人堂(にょにんどう)道」と彫られた石碑が建っていますが、これは昔、多武峯が女人禁制だった名残です。また「東大門」の前に山岡荘八書で柿本人麻呂の万葉歌碑巻3−240も建っています。
 談山神社、国重文「摩尼輪(まにりん)塔」

 「東大門」から入って、車は下山だけの一方通行の道を歩いて上ると、参道の途中左側に「摩尼輪塔」が建っています。花崗岩製の八角形石柱で、上に笠石をいただき、その下の塔身の上部に円盤を造り出して、密教で説かれる胎蔵界「大日如来」の種子(しゅし)アークが刻まれています。なお「摩尼(まに)」とは宝球(ほうしゅ、又はほうじゅ)のことです。また、多武峯の山麓で、桜井市上之宮に建っていた談山神社「一ノ鳥居」の所からここまで、江戸時代に52基の「町石」が建てられましたが、今はその内の31基が県文化財として残っており、なお、更に参道を上がる後醍醐天皇寄進の国重文「石燈籠」も建っています。
 淡海公(たんかいこう)十三重塔

 また、参道から少し左に上った所に談山神社の祭神藤原鎌足公の二男、不比等(ふひと、淡海公)を祭る「淡海公十三重塔」が建っています。材は石で、基壇から九輪の頂まで約4.0m、台石の高さ0.9m、台石に永仁六年(1298年)大工、井行元の刻銘があります。この石塔が、藤原不比等の墓と伝えられ、彼は、659年に生まれ、大納言から右大臣になり、律令政治を推進し、701年大宝律令、718年養老律令を完成。その間、娘の宮子を第42代文武天皇の夫人にし、また、光明子を第45代聖武天皇皇后(人臣皇后の始め)にして、皇室との関係を深め、平城京遷都の際、氏寺を移して「興福寺」と改称しました。




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