「香芝市」から 「王寺町」辺り  その2

 恵心(えしん)誕生地の石碑

 「十二社神社」から南へ行き、JRの踏切を渡って右へ折れ、小さな「熊谷川」を渡り、右に「新池」を見て、また小さな「杉橋川」を渡って、更に西へ進むと、道の左に「源心僧都誕生之地」と彫られた石碑が建ち、何時も花が添えられています。我が国七高僧の1人、恵心僧都は、源信(げんしん)僧都とも云い、942年(天慶5年)9月15日ここで生まれ、父はト部正親(うらべまさちか)、母は清原氏の出、彼は幼少を千菊丸(ちぎくまる)と云い、9歳の時、比叡山に登って仏門に入り、良源(りょうげん)大僧正に師事して名を「源信」と改め、15歳の時、村上天皇のお召しにより宮中で法華経の御前講義をしました。
 「初田川」に架かる「阿弥陀橋」

 石碑「恵心僧都誕生之地」が建っている所から更に真っ直ぐ西へ約200m行くと、小さな「初田川(はったがわ)」に「阿弥陀(あみだ)橋」が架かっています。ここらは、恵心僧都、幼名千菊丸が、950年(天暦4年)清濁に対して川辺において問答をした所で、後に渡河に苦しむ人を見て983年(永観元年)頃、石橋を架けましたが、その石は、近くの「狐井城山(きついしろやま)古墳」の「長持形の石棺蓋石」と「石室の天井石」ではないかと推定されています。現在は、写真の左側に見える「阿弥陀如来の頭部」と見なして建てられている「石棺材」と共に「長持形石棺蓋石」「天井石」も橋の北側に安置されています。
 阿日寺(TEL 0745-76-5561)

 「阿弥陀橋」を渡って西へ向い、次の四辻を右に折れて北へ行くと、香芝市良福寺(りょうふくじ)集落の北に恵心僧都(えしんそうず)誕生院、浄土宗光明山「阿日寺(あにちじ)」があります。985年(寛和元年)9月18日僧都の母72歳が安楽往生され、僧都が「阿弥陀如来立像」を刻んで母の身代わり仏として朝夕仕え、今は当寺の本尊で、また、父の為に像高94.0cmの「大日如来坐像」を刻みましたが、これら両仏から1字づつをとって寺号を「阿日寺」とされ、かって当寺は忌中(きちゅう)の丘、忌中堂とも称し、戦国時代は岡周防守(おかすおうノかみ)の菩提寺で、今は安楽往生祈願の「ポックリ寺」です。




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