「香芝市」から 「王寺町」辺り  その9

 平野古墳群の1つ「車塚古墳」

 「正楽寺」から又「近畿自然歩道」に下りて、東へ辿ると、左手奧に「杵築神社」があり、ちょっと左へ曲がって北東へ進むと、道の左側の傾斜面にフェンスで囲まれた中に「車塚古墳」があります。なお、この辺りには、消滅した3つの古墳も併せて6つの古墳が分布していた事が知られ、平野古墳群と呼ばれ、現在古墳群の東端に平野1号墳(車塚古墳)と平野2号墳があり、西端に国指定史跡の平野塚穴山古墳が残されています。平野塚穴山古墳は、飛鳥の高松塚古墳と同様の石室構造をもち、また、平野2号墳は、推定直径26m、高さ6.5mの円墳で、全長10mの横穴式石室があり、7世紀中頃の築造と考えられています。
 「尼寺(にんじ)北廃寺遺跡」の礎石

 「車塚古墳」から真っ直ぐ東へ行き、志都美小学校と幼稚園の脇を通って、近畿自然歩道の「太子道」を北へ辿り、小さな「尼寺川」を渡って更に北へ行った畑の中に「尼寺(にんじ)北廃寺遺跡」があります。「尼寺北廃寺」は、飛鳥時代末に創建され、東面する法隆寺式伽藍配置でしたが平安時代初期に焼失しました。寺域全体は、東西約100m、南北約130mと推定され、法隆寺から大阪府太子町へ通じる旧「太子道」に面しています。発掘調査で、回廊に囲まれた塔と金堂の跡が南北に並んでいたが、講堂は見つかっていません。塔跡には日本最大の心礎が地下約1.2mにあり、そこに耳環や水晶玉が埋納されていました。
 白山姫(しらやまひめ)神社

 「尼寺北廃寺遺跡」の直ぐ西側の丘陵へ上がると、「白山姫神社」が鎮座しています。創建は、861年(貞観3年)とされ、1696年(元禄9年)3月に奉納された石灯籠に白山権現神前と刻されているので加賀白山と何らかの関係があった事がうかがえます。なお、ここら辺りは火幡神社を中心とする産業地だったので農業に欠かせない水、明神山の罔象女(みずわめノ)命と供に五穀豊穣を祈願する神として、白山姫神社の祭神(白山比当ス)が祀られました。本殿は、神明造、素木の二間社で、拝殿は、瓦葺の平屋です。また、境内には石造の唐獅子が一対あり、1845年(弘化2年)12月氏子が奉納した見事なものです。




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