「香芝市」から 「王寺町」辺り  その10

 乳垂(ままたれ)地蔵尊

 「白山姫神社」から北東へ出て、国道168号線の手前の旧道をちょっと北へ行った畠田郵便局の北直ぐ角に「役行者石像」等と供に「乳垂地蔵尊」が祀られています。第33代推古天皇の乳母が乳の少ない事を憂いて、勅使が七日七夜の祈願をしたら七日を満ずに奇験顕然として乳母の乳が溢れ出し、天皇いたく感心され、それより後、幾年たっても霊験あらたかなのでここから西南二丁の所にある地蔵山に堂宇が建てられて、後にこの地に移転し伽藍が建てられましたけど、1559年(永禄2年)秋9月信貴山城主の松永弾正久秀が近くの「片岡城」を攻めた時、兵火で焼き払われて今日に至り、子供地蔵会は毎年8月23日です。
 片岡城(下牧城)跡

 「乳垂地蔵尊」の所から東へ行って、国道168号線とJR和歌山線「畠田駅」南の踏切を横切り、更に「葛下川」を渡って標高90mの「瓔珞(ようらく)山」へ登ると、「片岡城跡」です。南北にのびた馬見丘陵の最北端にあり、上牧町下牧地区から金富地区を経て田原本へ抜ける峠に面した標高90mの高台で、俗に「城山」と呼ばれ、西の片岡谷一帯は、中世興福寺一乗院領の諸庄園で、東を流れる滝川一帯に牧山上下庄が展開し、それらの庄園を本拠に成長した国人の片岡左門国春が16世紀初頭に築城して、1569年(永禄12年)片岡新助春利の時、松永弾正久秀らの軍勢に攻められたが、ことごとく奇勝を博しました。
 来迎山別所院「永福寺(えいふくじ)」

 なお、「片岡城」は、後に1577年(天正5年)10月片岡弥太郎春之の時、織田の軍勢によって攻め落とされ、現在は城跡だけが残り、右(南)隣の丘に延喜式内「伊邪那岐神社」が鎮座しています。また、「城山」から西へ下りて、国道168号線を少し南へ戻り、バス通りを更に西へ上がって行くと、バス停の「福祉センター前」を過ぎた右(北)側の少し奧に、浄土宗「永福寺」があります。草創は、行基と伝えられ、ご本尊は、釈迦如来坐像で、行基の作と云われています。また、本堂の南側は鷹ケ峯観音堂と云われ、本尊は長谷寺式十一面観世音菩薩で、室町時代の作。本堂前の松香石の七重の塔は、鎌倉時代の様式です。




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