「香芝市」から 「王寺町」辺り  その12

 親殿(おやどの)神社

 「孝霊天皇陵」から下の道へ下りて、そのまま道を南へ500m程行った「中池」の所を左(東)へ曲がると直ぐ「親殿神社」が鎮座しています。室町時代の1470年(文明2年)片岡弥五郎道春によって奉鎮され、片岡武士団の守神として厚い信仰を集め、武士達が神殿で戦勝祈願や社を中心に団結をはかり、共同防衛軍議をするのが常でした。なお、祭神は、春日の4柱で、摂社に高倉大明神を祀って、例祭は1月1日元旦祭、2月25日祈年祭、7月25日が夏祭、9月25日宵宮祭、11月25日新嘗祭です。また、拝殿には、天保十年(1829年)の武者絵や、嘉永二年(1849年)の平敦盛と熊谷直実の図があります。
 芦田池(あしだいけ、肩岡池)

 「親殿神社」から東へ向かうと、国道168号線の手前に「芦田池」があり、昔はこの辺りを「葦田」と呼び、葦が生い茂っていたらしく、近くの「放光寺」に残っている「古今縁起」、1302年(正安4年)僧審盛(しんせい)著に「葦田池」と書かれ、古くは「壬申の乱」で将軍大伴吹負が壱伎史韓国軍と戦った古戦場で、また、「枕草子」では「原はたか原、みかの原、あしたの原」と書かれた「片岡の葦田の原」であり、歌の名所として知られ、万葉集にも詠まれて、

 片岡の この向つ峯に椎蒔かば 今年の夏の
 蔭にならむか       巻7−1099
 片岡神社(0745-78-5535)

 「芦田池」の北東角に建っている石標「すぐだるま天保四年二月」を見て、そのまま北へ700m行くと「達磨寺」ですが、ちょっと西へ入って北へ行くと、王寺小学校の校庭に「片岡神社」が鎮座しています。「新抄格勅符抄」に大同元年(806年)の事として当社の神戸(封戸、神領に属して租、庸、調を神社に納めていた農民)が載っているので、その頃既に鎮座していた事が知られ、また、「三代実録」に貞観元年(859年)正月、正五位下に昇叙した事が書かれ、古くは「品善寺」近くの元町大峰の東北端に鎮座し、その後、「放光寺」の鎮守社になった様で、994年(正暦5年)中臣氏人が宣命使として来社しました。




奈良観光表紙に戻る  王寺町周辺図を開く  前のページに戻る   次のページに進む