葛城山および葛城古道  その1

 国道24号線「柳田橋」

葛城古道」は、奈良盆地の西南端に位置する奈良県御所(ごせ)市の西部に在り、葛城・金剛山の麓を南北に結ぶ全長約13キロの道で、JR和歌山線か、又は近鉄御所線の終点である御所駅から、国道24号線をちょっと南へ歩き、小さな柳田川の「柳田橋」を渡ったら右(西)へ曲がり、川に沿って桜並木の土手を葛城山の方へ向かって西へ歩き、大正中学校の裏門側に植わっている大きなメタセコイアを横目に見て、直ぐ右(西)へ曲がり、今度は高台の大正小学校の横を通って更に西へ進み、道端に3体並んでいる小さなお地蔵さんが居られる民家の間を通りしばらく行くとこんもりとした「鴨山口神社」の森が見えて来ます。
 御所市立大正中学校の「メタセコイア」

メタセコイア(Metasequia)は、一名アケボノスギとも呼ばれ、スギ科の落葉性高木ですが、1945年中国四川省の弟三紀以降の地層から化石種が発見されて、後に現生種も発見され、新生代針葉樹の代表的属として注目され「生きている化石」と云われました。日本へは、中国で発見されてから4年後の昭和24年頃、小中学校等に配布されましたが、御所市立大正中学校の「メタセコイア」がどの様な経緯を経て植えられたのかははっきり判りませんけど、木の大きさから推定して、樹齢約50年ぐらいと思われるので、多分戦後の貧しい頃に植えられたものと思います。なお、奈良では磯城郡の三宅町立三宅小学校にも在ります。
 御所市立大正小学校と葛城山

御所(ごせ)と云う地名の由来は太古、第5代孝昭(こうしょう)天皇の御所(ごしょ)が、この辺りに在ったので、それが「ごせ」に変わったとする説や、また、一部分で国道24号線に沿って流れる葛城川に五つの瀬が在ったので「ごせ」と云った説などが有りますが、はっきりした事は判りません。なお、写真の大正小学校の後ろに見えている山は、標高960mの「葛城山」で、頂上の西側は大阪府の千早赤坂村ですが、東側の山麓は朝日を受ける好立地で、しかも広い地域に恵まれて、奈良盆地では最も早くから拓かれた所と云われ、飛鳥以前この辺り一帯を中心とした葛城王朝が存在し、今も興味深い遺跡が点在しています。




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