大滝の郷「川上村」  その2

 吉野川で建設中の「大滝ダム」

 バス停「大滝」から「吉野川」沿いに南へ上がって行くと、平成14年未だ建設中の「大滝ダム」が見えて来ます。なお、この辺りは、昭和34年9月伊勢湾台風で多大の被害を出したので、洪水調整、河川環境保全の流量確保、奈良県と和歌山県への上水道と工業用水の供給、水力発電(約1万世帯へ電力を供給)を目的とする重力式コンクリートダムが、「国土交通省近畿地方整備局」の発注で、熊谷組・日本国土開発・大豊建設の3社が共同企業体で請負建設中です。完成時の流域面積258キロ平米、堤高100m、堤頂長315m、堤頂幅12m、堤体積約100万立方米、東京ドーム0.8杯分のコンクリートを使用します。
 丹生川上神社上社(TEL 07465-2-0733)

 吉野川沿いに国道169号線(東熊野街道)を更に南へ上ると、川上村迫に至り、道の駅「杉の湯川上」の所、トンネルの手前の交差点を左へ折れて、山沿いに登ると、崖の右上に「丹生(にゆ)川上神社上社」が鎮座しています。680年代(天武年間)創建と伝えられ、元は崖下の吉野川畔に鎮座していたが、「大滝ダム」の建設にともない、平成10年3月15日に山の中腹に遷座して、狛犬の代わりに馬が立ち、祭神は、降雨、止雨を掌る高寵大神(たかおかみノおおかみ)、山の上に棲む龍神で、昔は祈雨(あまごい)に黒馬、止雨(あまどめ)に白馬を奉り、平安遷都後も皇室から幣帛(へいはく)と共に馬が奉られました。
 福源寺(ふくげんじ)

 「丹生川上神社上社」から下へ降りずに、天川村の洞川へ至る道を登って行き、途中で右へ入って行くと曹洞宗(禅宗)「福源寺」があります。当寺は、木地師の祖として知られる惟喬親王(これたかしんのう)の岡室御所と伝えられ、また、当寺は、大峰山とのつながりが深く、役行者や役行者の母子像などが祀られており、当時の風貌を伝えるお寺でます。なお、惟喬親王は、844年(承和11年)第55代文徳天皇の皇子として生まれ、母は紀名虎の娘静子。父天皇に愛され、皇太子に立てられようとしたが、藤原氏に阻まれ、大宰帥(ださいノそつ)、上野大守を歴任して、後に出家し、比叡山山麓の小野に隠棲されました。
 大天井(おおてんじょう)滝

 「福源寺」からまた「天川村洞川(てんかわむら、どろかわ)」の「母公堂」へ至る林道へ下りて、右へ曲がり、「高原川」沿いに鬱蒼とした「吉野杉美林」の中を通って林道を西へ上がって行くと、「吉野山」と「天川村洞川」へ至る三叉路に出会すが、そのまま真っ直ぐ「天川村洞川」の方へ向かうと、既に標高が約1000mほどに達し、「五番関トンネル」の少し手前で、林道の左側に、崖の淵に東屋風の休み小屋があり、林道の橋を渡った右(北)側に「大天井滝」が見えています。なお、滝の側まで行くには、手摺りの付いた小さな鉄橋を渡って滝壺の辺りまで行けますがかなり足元が危険なので十分注意を要します。また、大天井ケ岳(標高1439m)の山際から流れ落ちる「大天井滝」は、それほど水量が豊かではありませんが、それでも落差約50mの段瀑で、岩を伝い幾段にもなって流れる様が美しく、更に林道の前面、南には大峰山脈の主峰、「山上ケ岳(標高1719m)」と「勝負塚山(標高1246m)」等も聳えています。
 森と水の源流館(TEL 0746-52-0888)

 「大天井滝」から西へ上がると「五番関」を越えて「天川村」なので、また、「本谷」「高原川」沿いに東へ下りて、湯盛温泉「ホテル杉の湯」の所から国道169号線(東熊野街道)を南へ向い、寺山トンネルを抜けると、右側に「森と水の源流館」があります。水源地の村である川上村の豊かな森と水の恵みを体感できる施設で、源流の森シアターでは、日本最大級の迫力あるパノラマ映像で四季を通して変化する森の神秘や生き物の様子を示し、10mを超える巨木が立ち並ぶ森の姿を再現したジオラマや、自然と共生する村の暮らしを紹介する他、「もりみず探検隊」として、季節ごとに様々な源流体験ツアー等も実施されます。
注:森と水の源流館の写真の上にマウスを乗せると、巨大シアターの写真が現れます。
但しJavascriptがオフの場合は表示しません。



奈良観光表紙に戻る  「川上村」周辺の図を開く  前のページに戻る   次のページに進む