山の辺の道  その19

 柿本人麻呂の「万葉歌碑」

 写真に写っているこんもりとした小山が「衾田陵」ですが、そこから元へ戻らないで、御陵の前から白く写真に写っている道を下り、「念仏寺」や「中山大塚古墳」の「中山廃寺」を迂回して、写真にもぽつんと写っているお地蔵さんの祠の前を通ると、写真の様な「万葉歌碑」が建っている「山の辺の道」へ直接出て来られます。歌碑は、柿本人麻呂の巻2−212で、

 衾道(ふすまぢ)を 引手(ひきて)の山に妹を
 置きて 山道(やまぢ)を行けば 生けりともなし

なお、この他にも「山の辺の道」には歌碑多数有り。
 長岳寺の「根上がりの松」

 「柿本人麻呂の万葉歌碑」から南へ真っ直ぐ歩いて突き当たり左(東)へ曲がると直ぐにパンやビール、煙草を売っている店が在り、隣にお地蔵さんが数体と灯籠が建つ所の前に、写真の様な「根上がりの松」の根が見えます。残念ながら樹齢約300年と云われた松は、害虫に樹液を吸い取られ枯れて終い昭和58年春に切り倒されましたが、元は「天狗松」と呼ばれた長岳寺の貴重な松だったので、寺では幹のてっぺんの穴からドラム缶1本分の薬剤を注入したけど助からず今は根だけが残っています。それも、松は戦国時代に立派な石垣の在る土塁の上に植えられていましたが、後に石垣を外したので根が露出した姿になりました。
 釜口山「長岳寺の肘切り門」

 「根上がり松」の所からもチラリ見えていたのが、弘法大師空海さん開基で、釜口(かまノくち)大師の名で親しまれている長岳寺の総門「肘切り門」です。1349年(貞和5年)建立の四脚門で、昭和49年解体修理をされていますが、昔は、梁(はり)の付き出した部分の肘(ひじ)に刀傷が在りました。何でも注文の刀に僧兵からケチを付けられた刀鍛冶が、ムッとして、それならと門の肘木を切り落とし刀の切れ味を証明したので今も「肘切り門」と云われています。なお、門の前に張られている縄は、お寺の注連縄で、柳生の「円城寺」にも張られている「勧請縄」です。門を入ると大きなツツジの生け垣の参道が続きます。




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