海柘榴市(つばいち)観音堂 「金屋の石仏」前の路傍に天保四年(1833年)銘の石柱「左つば市観音道」があり、直ぐの「海柘榴市観音堂」には、文亀三年(1502年)と元亀二年(1571年)の石造観音像を安置していますけど、この辺りは、古代から栄えた交易市の跡で、大陸の使節も大和川の舟運を利用して、此の地迄溯り、市では歌垣を通し愛の交換が行われ、万葉集に次の様な歌が詠まれ、また、ここは王朝以来、長谷寺詣での宿場として栄え、「源氏物語」「枕草子」にも登場します。 紫草(むらさき)は 灰さすものぞ 海柘榴市の 八十のちまたに あへる児や誰 巻12-3101 |
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都の外港「佛教傳来之地」 「海柘榴市観音堂」から「山の辺の道」を南へ向うと、大和川の「馬井手橋」に至り、この辺りはその昔の、第10代崇神天皇磯城瑞籬宮や、磯城嶋金刺宮を初め最古の交易の市「海柘榴市」などの史跡を残し、「しきしまの大和」と呼ばれる古代大和朝廷の中心地で、難波津から大和川を溯って来た舟が着き、諸外国の使節が発着する都の外港として重要な役割を果たしました。日本書紀によると、欽明天皇の13年10月百済の聖明王が西部姫氏達率怒喇斯致契等を遣わし、釈迦仏金銅像一躯、幡蓋若干、経論若干巻を贈って仏教を伝えたのがこの辺りで、「佛教傳来之地」と彫った御影石の記念碑が馬井手橋の北詰に建っています。 |
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遣唐使が帰国に際して迎えられた所 写真は「馬井手橋」から大和川(泊瀬川)を下った次の「大向寺橋」ですが、川向こうに三輪山が見え、その麓の辺りが古代の市「海柘榴市」があった金屋の辺りで、三輪、石上を経て奈良への「山ノ辺の道」、初瀬への「初瀬街道」、飛鳥への「盤余(いわれ)の道」、大阪河内和泉への「竹ノ内街道」などの諸道がここに集まり、また大阪難波からの舟の便もあって、古代にはここら辺り大いに賑わいましたが、608年(推古天皇16年)遣隋使小野妹子が隋使の裴世清を伴って帰国し、飛鳥の京へ入る時、聖徳太子が遣わした飾り馬75頭を海柘榴市の路上に並べ、迎えたのが阿倍比羅夫と記されているのもこの地で有りました。 |