金魚と百万石の城下町「大和郡山」  その10

 箱本館「紺屋(TEL 0743-58-5531)」

 また、大和郡山市内に戻り、近鉄郡山駅から線路に沿って北へ行き、市庁舎の角を曲がってバス通りを渡り、真っ直ぐ東へ行くと、1590年頃(天正年間)豊臣秀長の時に成立し、1591年(天正19年)8月に地子(じし)を免除された箱本十三町の1つ、紺屋(こんや)町で、町の中央に幅約1mの紺屋川が流れ、昔はそこで藍染の水洗いをしていました。市内で最古の町家を改修した箱本館(はこもとかん)「紺屋」は入館料300円、9:00〜17:00開館で、毎週月曜日が休館。藍染の道具や金魚コレクション、箱本関係の古文書など多数展示し、要予約で、ハンカチ50×50cmの藍染体験が500円で出来ます。
 光慶寺(0743-52-3229)

 「紺屋町」から北へ行った「今井町」の東側にある真宗西本願寺の末、瑞厳山「光慶寺」は、1028年(長元元年)天台宗の皇慶阿闍梨が山城國久世郡岩田村に草創したのが始めで、その後、平康頼の長子左衛門尉清基の末男千代寿が出家して光慶と号し、住職になって、蓮如上人の教化に帰依し、真宗に改められ、1588年(天正16年)今の良玄寺のある所に「光慶寺」を創建し、1617年(元和3年)現在地に移りました。1680年(延宝8年)12月12日新町からの出火で焼失し、現在の本堂は、その後に再建、桁行18.35m、梁間20.25m、入母屋造、向拝1間、本瓦葺、市内の真宗本堂の代表的建物です。
 光慶寺の「梵鐘」

 「光慶寺」には、俊寛と供に鬼界ケ島へ流された丹波少将成恒、平判官康頼に対して平清盛が1178年(治承2年)7月26日に出した赦免状が残っています。また、梵鐘は総高148cm、口外径83cm、竜頭は双頭式で、撞座は珍しく4個あり、複葉八弁の蓮華文とし、乳の配列は、1画内4段5列の形式で、側面3面に銘があり、1674年(延宝2年)の改鋳です。なお、「光慶寺」には昔、夫婦の狸が住んでいて、寺の東側の道を夜通ると、チンチンコンコンと鉦(かね)の音がして、西側の道には袋真綿が落ちていて、それを拾おうとすると、真綿はするすると走って行きました。それもこれも全て夫婦狸の悪戯でした。
 春岳院(TEL 0743-53-3033)

 「光慶寺」のある「今井町」の更に北に「新中町」があり、大納言豊臣秀長の菩提寺、真言宗高野山南蓮上院の末寺、如意山「春岳院(しゅんがくいん、元は東光院)」があります。元「箕山(大納言塚のある辺り)」にあった「大光院」が豊臣秀長の菩提寺で、位牌と大納言塚の管理をしていたが、豊臣家の滅亡後、「大光院」は藤堂高虎の手で京都の「大徳寺」塔頭として持って行かれ、「東光院」に秀長の位牌を託し、大納言塚の管理も委ねられました。その後、秀長の法名「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」に因んで「春岳院」と改め、今日に及んでいます。なお、当院の「御朱印箱及同文庫」「秀長画像」は市指定文化財です。




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