伊勢本街道「御杖村」  その3
 「佐田峠」の「首切地蔵」

 「東禅寺」から「神末川」に沿って更に北へ行き、バス停「神末」の三叉路を右へ曲がって行くと、変則的に曲がりくねったなだらか坂道を上がり切った所が「佐田峠」です。左側の山肌に小さな「首切地蔵」が座っています。明治維新の時に、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で棄てられ、3つに折れたが、首から上の病に霊験あらたかです。全快したなら赤い布地の涎掛(よだれかけ)を奉納する慣わしがあります。また、右が「学能堂山(岳の洞、標高1023m)」登山口で、「学能堂山」は「三峰山」から北へ延びた支稜の独立峰です。頂上はちょっとした高原の形をなして、ススキの原となっており、360度展望がききます。
 御杖村から見た「大洞山(おおぼらやま)」

 「佐田峠」を東方へ下ると、突然目の前が開けて、前方先に端正な山容の「大洞山(標高985m)」が迫って来ます。室生山系に属し、近畿百名山の1つですが、山頂は御杖村でなく、三重県一志郡美杉村で、登山口は、近鉄大阪線「名張駅」から、三重交通バス「奥津(おきつ)駅」行に乗って、「名張川」沿いに国道368号線を遡り、バス停「上太郎生」辺りから東へ向かい、東海自然歩道を通って登ります。なお、「大洞山」の北側には、伊賀富士と呼ばれる「尼ヶ岳(標高985m)」もあり、また、「上太郎生」バス停から「東海自然歩道」を西へ登ると、「曽爾村」へ入り、亀山から倶留尊山(くろそやま)へ至ります。
 七不思議、其の一「子もうけ石」

 北東に「大洞山」が見えているここら辺りが御杖村「敷津」の集落で、昔は狐や狸が出没して人を騙したそうですが、今でも「敷津の七不思議」伝説が残っています。道標の立つ分岐点を右へ、「伊勢本街道」を少し東へ行って、右へ逸れた農道の脇に、「敷津の七不思議」、其の一「子もうけ石」が転がっています。牛に似た石が小石を生んだと云われている石で、この石を撫でると子供が宿ると言われています。現在石が肌を見せている部分は、その昔に洪水で埋まった上の部分だけと云われていますが、ちょっと見た目には全部肌をもろに出している様に見受けられます。なお、春先には周りに土筆(つくし)が沢山芽を出します。
 七不思議、其の二「月見石」

 また、「伊勢本街道」へ戻って、更に東へ行くと、「常夜燈」を過ぎた辺りの右側に「敷津の七不思議」其の二「月見石」が水槽の脇にぽつんと1つ置かれています。その昔、第11代垂仁天皇の勅命によって、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御杖代(みつえしろ、斎宮(いつきノみや)のこと)になられた倭姫命(やまとひめノみこと)が、大和国の笠縫邑から「御杖神社」に至って、休まれた後、更に伊勢へ遷宮(せんぐう)の途中、この岩の上にあがり、仲秋の名月を鑑賞されたと云われています。なお、現在「御杖神社」の境内には、樹齢600年の杉の巨樹が植わっていますが、その巨樹が植えられる以前のお話です。




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