春日大社は、奈良朝の始め頃、平城京鎮護のため、鹿島立で白鹿に乗って奈良に来られた武甕槌命 (たけみかづちノみこと)を御蓋山の麓に祀られたのが始まりで、その後、藤原氏の血を引く女帝、称徳天皇の勅命により、768年(神護景雲2年)11月9日左大臣藤原永手(ながて)が現在地に氏神として創建しました。なお、春日大社本殿(四所神殿)に祀られている祭神は、本殿に向かって右より、武甕槌命、経津主命(ふつぬしノみこと)、天児屋命(あめのこやねノみこと)と、その妻比賣神(ひめノかみ)の4神で、武神の武甕槌命は東国第1旧官幣大社の鹿島神宮の祭神でも有り、「古事記」「日本書紀」によると天照大御神の命により、国譲りを催促するために出雲の大国主神の所へ3番目に出かけた使者で、大国主の息子建御名方神(たけみなかたノかみ)が千人力で邪魔するのを剣と雷の霊能で、科野(しなの)ノ国の州羽ノ海迄追いつめ成敗しました。また、経津主命は、千葉県香取神宮の祭神でも有り、古事記には登場しませんが、日本書紀によると、武甕槌命と共に、天照大御神の命により高天原から出雲国五十田狭(いずもノくにいたさ)の小汀(おはま)に天降り、葦原中つ国を平定しました。天児屋命は、天照が天岩戸にお隠れの時、八咫ノ鏡を差し入れました。
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