春日大社の昔の車庫、重文の「車舎」 春日大社「神苑」の東口から出ると、バス停「春日大社本殿(ここから近鉄、JR奈良駅経由の法隆寺前行最終バスは17:30)」、観光バスの駐車場で、直ぐ東側が「春日大社宝物殿(TEL 0742-22-7788)」、館内に「春日権現験記」、義経の赤糸威鎧(国宝)、ダ太鼓(重文)などを展示しています。また、「宝物殿」から表参道に戻ると、参道に面して車舎(くるまやどり)が建っていて、859年(貞観元年)創建、桁行五間、梁間三間、流造桧皮葺、床が土間で、両側面を除き全て吹放し、素木造りの簡素な建物ですが、天皇の行幸、勅使、藤原氏の参拝の際に牛車を置いた車庫で、今も黒漆塗りの牛車が1台駐車しています。 |
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春日大社の「二の鳥居」 「車舎」から、表参道の石段を2,3段上がったら春日大社の「二の鳥居」で、入って直ぐ左横が手水、昭和28年大和下三橋の清水カズエさんが寄贈された鋳物の「献鹿」の口から水が流れ出し、飲める水なので飲んでも腹が痛くなりません。手水が終わったなら真横の春日大社の末社「祓戸(はらえどノ)神社」にお参りするのが順序です。770年(神護景雲4年)鎮座。御祭神は瀬織津姫神で、自らが犯した罪はもとより、知らず知らずに犯した罪をも心から悔い改めて祈ると、罪穢を祓って呉れます。例祭は、3月13日「春日祭」と6月30日「夏越大祓」、勅使のお祓いなど全て古式に則って、厳かに当社で執行されます。 |
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「祓戸神社」での勅使と弁(お祓いの儀式) 毎年3月13日10:00〜、行われる例祭「春日祭(申祭、さるまつり)」は三大勅祭の1つで、昔は2月と11月上の申の日に行われていましたが、明治以降は現在の日に定められ、藤原姓から選ばれた勅使(ちょくし)と弁(べん)が「祓戸神社」で「お祓いの儀」を行い、「着到殿」で「着到の儀」を済ませ、本殿の神様へ御神饌(ごしんせん)を具える御棚奉奠(みたなほうてん)、「幣殿」で勅使による御祭文奏上の儀、左・右馬寮官人(さ・うめりょうかんじん)らの白馬2頭の御馬牽廻(みうまひきまわし)の後、「直会殿」で勅使と弁の饗膳(きょうぜん)の儀で、それが済むと、林檎の庭で「和舞」が奉奏されます。 |
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春日表参道の「石燈籠」 春日大社の境内には、1780基の石燈籠が在り、写真の様に参道の両側にずらりと並んでいます。その内、1836年(天保7年)11月建立の燈籠は鹿の浮き彫りが有り、和州(奈良)郡山八木屋九兵衛他の御免綿問屋が寄贈した物ですけど、もっと古いのは、「宝物殿」の入口に置かれた2基で、平安時代に関白藤原忠通が奉納したと云われる物は火袋が八角形で、竿(さお、柱)が円筒の柚木(ゆのき)型の石燈籠。また、他の1基は、木製格子の火袋で角型、御間道に並べる御間道型の石燈籠で、元亨3年(1323年)の銘が有ります。なお、春日大社では、毎年2月節分祭と、8月15日中元疫神祭で「万燈籠」点火です。 |
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春日大社の国重文「着到殿」 春日大社の表参道を「一の鳥居」から東へ辿って最後の所、参道北側の石垣上に建つ古めかしい桧皮葺の建物が「着到殿(ちゃくとうでん)」です。平安時代の中頃、916年(延喜16年)創建で、1413年(応永20年)再建され、参道に面した南側が正面、屋根は西側が妻切妻造ですが、人が出入りする東側が写真の様に妻入母屋造になっていて、毎年3月13日「春日祭」で勅使(ちょくし)以下がここで「着到の儀式」を行い、天皇が行幸の折は行在所になります。また、「着到殿」の北側で高石垣上に鎮座するのが、祭神の猿田彦大神と春日山一帯の地主神、榎本(えのもと)の神を祀る春日大社の摂社「榎本神社」です。 |
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御間道と「御間道型石燈籠」 春日大社の表参道を「一の鳥居」から東へ来て突き当たると、すぐ北側の石段をちょっと上がった所に朱色も鮮やかな春日大社の「南門」が見えていますが、反対の南側に進むと、春日大社の摂社「若宮神社」へ行く道で、国の天然記念物ナギ樹林の中を行く「御間道(おあいみち)」で、道の両側にびっしり御間道型石燈籠が並び、触ると今にも倒れそうな石燈籠も有るので縄が張られています。なお、写真の正面に見えるのは、若宮神社の国重文「細殿・神楽殿(ほそどの・かぐらでん)」で、1613年(慶長18年)に建てられたけど、平安時代の藤原期を偲ばせる様式です。 また、その右に市内一の「大楠」が植わっています。 |
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春日大社摂社若宮神社の「大クス」 奈良市内一の巨樹、推定樹齢1700年、神功皇后が三韓遠征の記念に植えたと云う伝承があり、当初は3本の苗木を固めて植えたため、成長に伴い幹が癒着して1本の大木になったものと想定され、幹の下部はコケがびっしり生え、幹周り11.2m、樹高8m、クスノキ科の常緑大高木で、本州の関東以西、四国、九州の山地に生え、普通は樹高20m以上になるが、1719年(享保4年)10月20日の大雪で、幹の上部が折れたためだそうで、写真の様に「御間道型石燈籠」の木で出来た火袋の背後から「若宮神社」の方へ伸びて、途中で垂直に立っている細い主幹は、2本の黒い鉄管で支えられなんとか持ちこたえています。 |
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若宮神社下の「エノキ」 なお、「オオクス」の西側で、「上(かみ)の禰宜(ねぎ)道」を隔てた所に「エノキ」が植わっています。樹高約17m、幹周り5m、推定樹齢300年、地上1mの所から2本に枝分かれして、幹の樹皮はコケや菌類のため、黄緑色になっています。「エノキ」は、ニレ科の落葉高木で山野に自生し、国蝶オオムラサキの幼虫がこの木の葉のみを食べ、古くから神社やお寺の境内に植えられ、民間信仰と深く関わって、神木、霊木、縁起木として尊重され、村の境界や街角、一里塚等の標識木に用いられ、東大寺旧境内「西大門跡」の「一里塚」にもあったが、平成2年9月19日(水)台風19号で幹が折れ、枯れてしまいました。 |