奈良町  その1

 慈眼寺(TEL 0742-26-2936)

 聖武天皇が御感得された「やくよけ観世音」を祀る大悲山「慈眼寺」は、近鉄「奈良駅」西の高天交差点北西の角に建っている高さ1.7mの石標「やくよけ観世音菩薩、慈眼寺是より北2丁」を見て、その指示に従い「やすらぎの道」を北へ約400m行った所、近鉄「奈良駅」から徒歩約6分です。お寺の創建は、はっきりしませんが、1560年(永禄3年)に長順上人が本堂を再建しています。なお、寺の境内は元々「やすらぎの道」の中程迄ありましたが、戦後の道路拡張で境内が奧に引っ込み、弘法大師が掘り、南都の酒屋がわざわざ水を汲みに来たと伝えられる「名水の井戸」も「やすらぎの道」に埋もれてしまいました。
 慈眼寺の巨樹「トヨガキ」

 なお、「慈眼寺」の狭い境内を裏に廻ると、お墓ですが、堂の直ぐ裏に大きな柿の木が植わっています。バス通りの「やすらぎの道」からでも、お寺の屋根を越して奈良市指定天然記念物「柿の巨樹」を見る事が出来ます。推定樹齢は約300年で、高さ約12m、胸高の周囲約2.7mで、主幹は1.4mの所で4本に分かれて更に分枝し、その中1本は他の1本と癒着していますが、まだ老化を感じさせず、秋に鈴生りの甘い実が成り、柿の木としては奈良県下でも大変に珍しい巨樹です。毎年11月13日には柿の実を本尊に供え、実りの秋に感謝する「十夜市供養」が行われ、長寿の実としてお年寄りや、子供にふるまわれます。

 称名寺(TEL 0742-23-4438)

 「慈眼寺」から「やすらぎの道」を南へちょっと戻ると、道端に高さ1.7m石の道標「茶道発祥の地、茶礼祖・村田珠光旧跡、称名寺、右」が建っているので、それを見て横筋を西へ入ると、北側にお寺の屋根が見え、浄土宗、日輪山「称名寺」です。1265年(文永2年)興福寺の学僧が常行念仏の道場として創建、興福寺の別院で興北寺(こうほくじ)とも称し、江戸時代には寺領30石を与えられ、本堂に非公開の木像阿弥陀如来座像、地蔵菩薩立像、釈迦如来座像、増長天立像、薬師如来座像等、いずれも平安時代の作で重文の仏像五体を安置し、境内の東側に室町時代の「千体石仏」約1800体が積み重ねられています。
 「称名寺」の「千体石仏」

 茶礼祖村田珠光は、1421年(応永28年)奈良市中御門(なかみかど)町に生まれ、11歳で称名寺(しょうみょうじ)に入り、京の大徳寺一休禅師に参禅印可を受け、茶禅一味の茶境を開き、4畳半の茶室でたしなむ草庵の茶を創始、侘(わび)茶を提唱して、竹を愛し、竹の茶杓、水差し、台子(だいす)を考案し、それまで下手(げて)物と言われた焼き物を茶碗や茶入れに用いました。なお、1762年(宝暦12年)大火で焼失した称名寺は、1802年(享和2年)再建され、また、毎年5月第二日曜日が珠光忌で、本堂の仏像および茶室の独濾庵(どくろあん、珠光庵)の見学と野点席での抹茶の接待等があります。
 蓮長寺(TEL 0742-22-3273)

 「称名寺」からまた東へ出て、「やすらぎの道」を南へ行き、高天交差点から「登大路」を西へ行くと、登大路(国道369号線)沿いに日蓮宗光映山「蓮長寺(れんちょうじ)」があります。緩い坂を上った境内に建つ国重文の大本堂は、1653年(承応2年)の建立で、日蓮宗寺院の典型をなし、南に吹きっ放しの外陣を伴い、なお、本堂の天井に描かれている龍は夜な夜な抜け出して暴れるので、目を突き、円で囲って抜け出さない様にされています。また、当寺には、1250年頃(慶長年間)奈良へ遊学した日蓮が寄寓し、その後、法華経こそが最高の真理を示すものと悟り、千葉小湊の清澄寺で日蓮宗の開宗を宣しました。




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