奈良町  その16


 奈良町「天神社」

 「志賀直哉旧宅」から南へ少し戻って、大きな道に出たなら、西へ歩いて市内循環バス道路を渡り、更に西へ200m行って小さな道を北へ入り、左(西)へ曲がった所に奈良町「天神社」が在り、境内地を含むこの丘陵一帯は平城京が日本の首都で有った8世紀、平城(なら)の飛鳥と呼ばれた聖地で、始めにここへ祀られたのは少彦名命で「手間天神」と呼ばれ、その後に平安時代白河天皇の頃、菅原道真の霊を祀る天満宮が各地に奉祭され、この神域にも相殿が建てられ、御霊信仰の主神で有り、学問勉学の神である菅原道真の霊(天満天神)が併せ祀られて、また後に当社は、元興寺禅定院や興福寺大乗院の鎮守でも有りました。
 瑜伽(ゆが)神社「一の鳥居」より

 「天神社」から西へ少し下ると「瑜伽神社」です。写真の様に「一の鳥居」より83段の長い石段を登ると、右手に飛鳥神並社と藤原良林の歌碑が有り、更に登ると又右側に「一言稲荷社」や「飛鳥の御井」等が在り、この井戸は高い所に在るのに枯れた事が無く、昔は宮人たちが野点に使用していました。また、大伴坂上郎女が、733年(天平5年)に詠んだ万葉歌碑(巻6−992)も建ち、南方遙かに飛鳥古京を望み

 ふる里の飛鳥はあれど青丹よし
   平城(なら)の明日香を見らくしよしも

 瑜伽神社「本殿」

 「瑜伽神社」の御祭神は、宇迦之御魂大神、別名を豊受大神と云い、伊勢外宮に鎮座する大神と同神で、一粒の種から万培の豊壌をもたらす広大無辺の神徳を持ち、縁結び、子孫繁栄商売繁盛など福徳を招来して下さる神さんです。上古飛鳥神奈備に飛鳥京の鎮守として建てられたのを、平城遷都と共に現在地へ移って来られました。それでこの辺りを奈良の飛鳥と云い、社は飛鳥の元宮に対し「今宮」と呼ばれていました。また、元興寺禅定院の鬼門除け鎮守として崇められ、後に興福寺の大乗院がこの西山麓に建つに及んでその守護神として藤原氏の厚い崇敬を受ける様になって、その頃、山と社の名を宗論の「瑜伽」に替えました。




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