奈良町  その17

 大乗院庭園文化館(TEL 0742-24-0808)

 「瑜伽神社」からちょい西へ行き、直ぐ左(南)へ曲がって、東西に延びる大通りを西へ行き、交差点の北西角に在るのが「名勝大乗院庭園文化館」で、入館無料、9:00〜17:00、お休みは月曜(祝日の場合はその翌日)と祝日の翌日(土・日をのぞく)、12/26〜1/5です。国の名勝旧大乗院の庭園に隣接して平成8年4月オープン。大乗院に関する資料展示室、茶室、和室が設けられているほか、観光客が休憩できます。なお、写真の左側に2つ入口が見える土塀は「楽人長屋(がくじんながや)の土塀」です。その昔、南都の雅楽の演奏者が練習をする時に音が外に漏れず、また雑音が入らない様になっていました。
 名勝旧大乗院庭園

 「名勝大乗院庭園文化館」のガラス戸越しに見える旧大乗院庭園は、奈良ホテルの南崖下に在り、15世紀末に庭師、善阿弥(ぜんあみ)が造園し、奈良随一室町時代の面影を残す貴重な庭園で大乗院と云えば、興福寺の中でも一乗院と共に興福寺の別当をつとめた門跡寺院で、元は一乗院と肩を並べ、その東側(今の県庁の辺り)に在ったけど、1180年(治承4年)12月平重衡 (たいらノしげひら)の奈良責めによる兵火で焼け出され、ここへ移って来ました。そして又、明治維新の廃仏毀釈で大乗院も廃れ、明治42年当時の国鉄が買収して、今まで手入れが行き届かず荒廃していた庭園も、近頃少しづつ改修されています。

 国重文、元興寺の東門

 「大乗院庭園文化館」から大通りを西へ、鍵形に折れて、少し行くと、南北に交叉する筋を南へ入った所が世界遺産に登録の「元興寺」で、東門は元東大寺西南院の門です。「今昔物語」巻15によると、740年頃(天平時代)河内生まれで南の大坊の智光(ちこう)が一心不乱に経を読み極楽往生を願っているのに、北の小坊の礼光(らいこう)が寝てばかりいて、ころりと死んで極楽へ往生しました。これを知った智光がそんな馬鹿なことは無いと嘆いていると、阿弥陀仏が夢で浄土の荘厳(しょうごん)を見せて諭し、眠りから覚めた智光が夢で見た浄土を描いたのが、「絹本著色(けんぽんちゃくしょく)智光曼荼羅図」です。
 元興寺(極楽坊 TEL 0742-23-1377)

 南都七大寺の1つ、興福寺の「北寺」に対し「南寺」と称した「元興寺」は、我が国浄土六祖第一祖、智光の住房が前身で、元興寺東室南階大坊(僧坊)の一部、後に寄棟造に改築され、彼が極楽浄土を感得して描かせた「曼荼羅」を祀ってから極楽坊本堂、極楽堂、曼陀羅堂と称し、古来浄土発祥の聖堂として名高く、内部の柱に念仏講の寄進文が有ります。なお、本堂の外観は、1244年(寛元2年)改修された当時のままで、内陣は更に古く奈良時代僧房の身舎部を残し、また、寄棟の1面で西流れの屋根に葺かれた赤と黒の「行基瓦」は、平城京遷都後、718年(養老2年)当寺の前身飛鳥寺から運ばれた我が国最古の瓦です。



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