佐保、佐紀路辺り その13
「水上池」の端に建つ万葉歌碑 「磐之媛命陵」の直ぐ前(南)、「小奈辺古墳」の西隣にある「水上池(みなかみいけ)」は、面積15ヘクタール、佐紀で最も大きな灌漑用の溜池で、池の南の堤防は既に奈良時代に造られ、日本書紀に載っている「狭城池(さきいけ)」とも云われていますが、池の北東角に「中臣女郎(なかとみのいらつめ)」が「大伴宿禰家持」に贈った万葉歌碑が建っています。 女郎花(をみなへし)佐紀沢に生ふる花かつみ かつても知らぬ恋もするかも 巻4−675 なお、女郎花は「佐紀」の枕詞、咲くと云う意です。 |
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添御懸坐(そうのみあたかにいます)神社 「磐之媛命陵」の北を巡る「歴史の道」を西へ進み池の前を過ぎて左折すると、「ハジカミ池」ですが、そのまま真っ直ぐ進みバス通り(歌姫街道)まで出て右折し北へ150m行くと、「添御懸坐神社」が鎮座しています。祭神は速須佐之男命と妻の櫛稲田姫命、添御県の祖神の武乳速命(たけちはやのみこと)で、ここは奈良盆地中央を南北に縦貫する「下つ道」の北端に位置し、古来、国境いに鎮座する手向けの神として尊崇され、長屋王が詠んだ万葉歌碑が境内にあり、 佐保すぎて 寧楽の手向に置く弊(ぬさ)は 妹を目離れず相見しめとぞ 巻3−300 |
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史跡「塩塚古墳」 「添御懸坐神社」から少し南へ戻って、平城公民館歌姫分館の横を右(西)へ入って行くと「マラ塚」があり、更にその南西に佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群の1つ「塩塚古墳」があります。全長が105mの前方後円墳で、後円部には濠が巡らされていますが、前方部にはなく、後円部の径65m、高さ8.5m、前方部幅52m、高さ3.2mで、後円部と前方部の高さにかなりの差があるが、前方部は後世に削られた可能性が強く、それを裏付ける様に前方部周辺から、奈良時代の瓦が多数出土しています。なお、古墳築造年代は、墳丘形態や埋葬遺物等から5世紀前半と推定され、規模は、佐紀古墳群の中で中程度の古墳です。 |