「大和三山」と「長寿道」の辺り  その7

 浄土宗「西光寺」

 「河合家住宅」の角を北へ行くと「西光寺」です。当寺の創立沿革は明らかでないが、1595年(文禄4年)の「文禄検知之写」に新町西光寺の名が見え、元は、天台宗でしたが、1580年頃(天正年間)誉上人の代に浄土宗に改宗して、現在に至っています。なお、本堂は、今井小学校の前身である文明舎として明治7年に開校し、その願書が当寺に残っています。また、本堂は、焼失後に再建され、桁行17m、梁間16.5m、入母屋造本瓦葺、向拝付の重厚な建物で正側面の広縁、向拝部の絵模様に風格が見られます。建築年代は、18世紀後半頃と思われますが、境内の鐘楼は棟札から、1690年(元禄3年)建立です。
 「蓮妙寺」の境内に鎮座する「慶巳大善神」

 「西光寺」からまた西へ向かうと、直ぐ大工町筋に「蓮妙寺」があります。毎年7月14日20:00〜「妙見大菩薩夏祭り」が行われるが、本堂に向かって左側に赤い鳥居の「慶巳大善神」が鎮座しています。社は小さいけれど、古くから歯の守護神として霊験があらたかで、いつも参詣者が絶えません。昭和5年の新聞にも掲載され、かなり有名な社です。なおまた、今井町の歴史にふれますが、江戸時代の始めは幕府領で、1619年(元和5年)郡山藩領になり、この頃東西南北旧4町の東側に今町、新町が加わり、6町が整えられ、東西4町半(約610m)、南北2町(約310m)程で、約1200戸の町場になりました。
 重文「旧米谷(こめたに)家住宅」

 「蓮妙寺」から西へ行って、次の辻を南へ行くと、辻を抜けた角に「旧米谷家住宅」があります。当家は「米忠」の屋号を持ち、広く金物商、肥料商を営んでいましたが、昭和31年国有になりました。建物は、ツシ2階(中2階)を持つ低い立ち上がりの2階建、切妻造、本瓦葺で、18世紀中頃の建築と推定され、表は格子と板戸を設けて、内部は東側に広い土間を取り、西側は今井町では少ない5間取りの部屋になっています。また、裏に角座敷が付き、裏庭にある土蔵にも座敷が造られ、茶室として使用できるようになっています。当家は、今井町にあっては珍しい構造で、商家と云うよりは、農家風のイメージが強い建物です。




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