漆部(ぬるべ)の郷「曽爾村」  その8

 大きな転石「七色岩(なないろいわ)」

 更に所々で手摺りに掴まりながら「滝道」を下ると「笄(こうがい)滝」があり、少し淀んだ「横渕」を過ぎると、「柿窪(かきくぼ)滝」で、緑の山筋を落差4mにわたって流れ落ち、この辺りがトレッキングの中程です。なお、更に「滝道」を下ると「姉妹滝」があり、ちょっと下ると、売店もあって、200円の缶ジュース等を売っています。また、縁台で一休みをして「滝道」を下ると、「滝川」の中に「七色岩」が居座って、岩の上に「あかぎ」「うめもどき」「松」「桜」「つつじ」「楓」「樅(もみ)」の七種類程の木々が自生し、これらが一年を通して四季折々に花を付け、紅葉して、その姿を七色に変化させています。
 赤目四十八滝「乙女滝」

 他にも名の付く岩なら「百畳岩」「八畳岩」「天狗柱岩」「屏風岩」「衣掛岩」等があり、渕なら「釜ケ渕」「斧ケ渕」もあり、なお、「陰陽滝」を見たら、また、ちょっと主流から横奧の支流へ入ると、「縋藤(すがりふじ)滝」もあり、更に「休憩所」を過ぎて「滝道」を下ると、「竜ケ壷」の次が「赤目五瀑」の「布曳滝」と「千手滝」ですが、それぞれの写真は、もう1つの「赤目五瀑」の「不動滝」等と共に「付録写真のページ」にあります。更に「千手茶屋」を過ぎると、2ケ所「休憩所」があり、また、支流へ入ると「大日滝」があり、「屏風岩」の次が「乙女滝」で、その次が「赤目四十八滝」で最大の「不動滝」です。
 赤目四十八滝「霊蛇滝」の伝説

 なお、「不動滝」の次が「霊蛇滝」で、1581年(天正9年)9月に織田信長が伊賀を攻め、老若男女を問わず皆殺しにして、赤目の里にも入り込み、勝ち誇った織田の武将が部下に命じ、渓谷の紅葉を折ろうとすると、一人の美しい乙女が現れて、「赤目の紅葉は、全て人の血が通って赤いから折らないで下さい」と頼んだが、それでも強引に紅葉を折ろうとすると、乙女は「この紅葉渡すものか」と叫び、蛇になって、滝壺へ身を投じてしまいました。すると、一天にわかに空がかき曇り、豪雨が降り出して、雷鳴が轟き、天地を震わせたので、さすがの織田の武将も恐れおのき逃げ去ったと云うことで、悲しい伝説のある滝です。
 日本サンショウウオセンター(TEL 0585-63-3004)

 なお「霊蛇(れいじゃ)滝」の次が「行者滝」で、バス停「赤目出合茶屋」から約4.6キロ徒歩1時間30分の滝トレッキングが終わり、「日本サンショウウオセンター」です。先に払った入山料のチケットで入れます。またここは「赤目四十八滝」のゲートで、西から滝へ入る場合の入口でもあり、館内には、生きた化石の天然記念物「サンショウウオ」が数十匹水槽の中で飼われています。思ったより体形が細長くて、前後肢はほぼ同形で、尾はよく発達し、山間の渓谷に住み、水中昆虫やミミズ等を補食し、幼生は水生で、外鰓(がいさい、えら)をもち、鰓(えら)呼吸で、幼生と成体には、蛙の様な体形の相違がありません。




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