大和高田市  その6
 太神宮(だいじんぐう)の常夜燈

 「常光寺」からまた西へ行って、「高田川」へ出る迄、バス停「古川町」の角の辺りや至る所に常夜燈が建ち、それらに「太神宮」と彫られています。これは江戸時代末期、高田市においてもお伊勢さんの太神宮信仰が盛んになり、ほぼ60年周期で起った熱狂的な集団による伊勢参りである「おかげ参り」に起因し、特に中和地方の操綿の集散地として、江戸時代の中期以後大いに栄え、その取引が大和の綿業の中核をなした大和高田では、商売繁昌を遠く伊勢神宮に祈願していましたが、その信仰が廃れることなく、今日までも続いている明かしです。なお、常夜燈の外にも、また小さな祠の中に伊勢神宮の神棚等が祀られています。
 静御前記念碑

 大和高田市の中央を南から北へ流れる「高田川」に至ると、「大中橋」を渡った右(北)に「大中池」があり、池の東側に「静御前記念碑」が建っています。この辺り、大和高田市磯野(いその)は、静御前の母磯野禅尼(ぜんに)が住んでいた所で、源義経との悲恋に打ちひしがれた静御前が、鎌倉から京都に帰されてから、母のいた磯野を慕ってこの地に来て、三本松・笠神の社などで静養し、ここで亡くなったと伝えられています。なお、三本松は、近くの「高田高校」の校庭に以前あったが、今は無く、1760年代(宝暦年間)に描かれた村絵図に、「静御前衣掛松」として3株の老松が載っており、今は句碑が建っています。
 「高田川」と「なつめがはら(棗原)」

 なお、「高田高校」の校庭の句碑は、「色かえぬ松にゆかりの古墳かな」とあり、その昔、松の根元から須恵器が出土したのを呼んだものです。また、高校の更に南へ行った春日町の会館前に「静御前の塚」と云われる小さな墳丘があります。所で、「高田川」堤に多くの桜が植わっていますが、これらは、昭和24年2月市民の寄贈によって植樹された千本桜で、その内140本は、平成10年9月22日大和高田市を直撃した台風7号により惜しくも倒木しています。また、大和高田市磯野の東北部で、高田川堤防の辺り一帯は「なつめが原」と呼ばれ、その昔は、春に芽が出て花が咲き、夏に実がなる「なつめ」があった所でした。




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