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孝霊神社(こうれいじんじゃ、廬戸神社)
「法楽寺」から南東へ行くと、「黒田池」があり、池の北東角、土手の上に「孝霊神社」が鎮座しています。元は「法楽寺」の鎮守社でしたが、明治時代初期に現在地へ遷座し、黒田村の氏神として引き継がれ、旧地より移したものに「明和七年(1170年)」の紀年銘をもつ石灯籠1対があります。なお、祭神は、第7代孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊、おおやまとねこひこふとにノみこと)、御脇立は、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめノみこと)、彦五十狭彦命(ひこいさせりひこノみこと、吉備津彦命、桃太郎のモデル)、稚武彦命(わかたけひこノみこと)他三柱で、周辺は弥生時代の「黒田遺跡」でもあります。 |
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笹鉾山(ささほこやま)古墳
「黒田池」の東側に「太子道」が池に沿って南北に延び、池の北東角に鎮座する「孝霊神社」から南へ行き、池の南東角から「太子道」を外れて東へ行くと、近鉄田原本線を渡った田原本町八尾字山本に「笹鉾山古墳(1号墳)」があり、東向きの前方後円墳です。全長88mの二重周濠をもつ6世紀前半の古墳で、墳丘の頂上に稲荷神社が鎮座し、前方部に向って参道が伸び、主体部は明らかでないが、墳丘に埴輪が樹立していました。なお、出土した埴輪の一部は、田原本町中央体育館内にある郷土資料展示室に展示され、又、1号墳の北側に2号墳があり、直径約19.5mの円墳で、馬子と飾り馬のセットが2組出土しています。 |
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宮古の「薬師堂」本尊「薬師如来坐像」
「笹鉾山古墳」から南へ行き、近鉄田原本線の踏切を渡って更に南へ行くと、田原本町宮古(都の意)に「春日社」が鎮座し、なお集落に入ると「薬師堂」があります。明治6年に境内の敷地が82.6坪あったけど、同7年4月廃寺になり、今は集会場を兼ねた堂内に、重文の本尊「薬師如来坐像」が安置されているだけで、像高95.2cm、檜(ひのき)一材で彫られ、漆箔(しっぱく)を施して重量感にあふれた見事な尊像で、9世紀後半頃の作です。なお、像は「まめ(たっしゃな)薬師」と呼ばれ、耳の病を癒す仏様です。また、この辺り宮古は、黒田盧戸宮(くろだいおとノみや)跡で、その名を今も地名に残しています。 |