水辺の「川西町」、「三宅町」から桃太郎の古里「田原本町」 辺り  その13
 「松本寺」、松本の石仏(流れ地蔵)

 田原本町薬王寺の「八幡神社」から国道24号線のバイパスを横断して西へ行くと、田原本町十六面から西竹田で、「飛鳥川」を渡ると田原本町松本の南端に「松本寺」があります。山門に向かって右端に瓦葺の地蔵堂があり、お地蔵さんが安置されています。このお地蔵さんは、お寺の西に流れる「曽我川」が決壊した時、この地に流されて来た地蔵さんで、鎌倉末期の石仏です。なお、大和のあちこちに、「流れ地蔵」と呼ばれる石仏が幾つか祀られていますが、仏教では、生死の苦しみに迷う現世が此岸(じがん)で、悟りの境地、極楽浄土を彼岸(ひがん)と言い、その中間に海があり、地蔵尊が一切衆生を舟に乗せて渡します。
 融通念仏宗「安楽寺」

 松本から「飛鳥川」に沿って南へ行くと、田原本町金剛寺から大綱で、バス通りを横断して上流へ行き、支流の「中の橋川」沿いに更に南へ行って、田原本町佐味で橋を渡って東へ行くと、田原本町満田で、国道24号線のバイパスを横断して矢部の集落に入ると、「安楽寺」があります。当寺に「絹本著色(けんぽんちゃくしょく)融通念仏縁起絵」が所蔵されており、宗祖の良忍上人の行状と、その及ぼした念仏功徳の霊験譚が描かれ、融通念仏縁起絵で国内に存在する物はいずれも南北朝末期から室町期のものが殆どですが、当寺のは鎌倉期迄さかのぼり、本図は縦153cm、横80cmで、巧みな縁起絵の構成を示しています。
 矢部の「綱掛」

 「安楽寺」から東へ行くと、「杵都岐神社」が鎮座し、そこから南へ行き、次の交叉点の北東角に植わる楡(にれ)の木に「綱掛」が懸かっています。なお、田原本町矢部では、毎年5月5日「子供の日」に成人男子が「綱掛」という行事を行い、牛の版画と小さなミニチュアの農具を家々に配り、綱を新婚の嫁さんに巻き付けたりして、なかなかほほえましい行事です。そして、綱が矢部集落の南寄り、綱掛の地にある楡の木に掛けられますが、昔は栴檀(せんだん)の木に掛けられ、この様な場所は、農牛馬を神とした野神(のがみ)信仰の祟りの地で、ハツオ・ハッタ・ハジョウ等と呼び、今でも田原本町に50余り残っています。


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