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「今里(いまざと)の浜」
「寺川」の「今里橋」の辺りは、昔「今里の浜」と呼ばれ、鉄道交通が発達する明治25年頃まで、大和川船運の寺川筋の船着場でした。1600年頃(慶長年間)大和小泉領主の片桐旦元が大和川の亀瀬峡流を開削し、大阪と大和の物資交易が盛んになり、「今里の浜」は「寺川」の最上流に位置し、川船港として、東に近世の主要な交通路「中街道」が通っていたので奈良盆地の物資流通に重要な位置を占め、「亀瀬」の上流、大和では、魚梁(やな)船が往航して、下流の大阪側では、剣先(けんさき)船が往航し、大阪から遡航(そこう)する際には、塩、雑貨、肥料(干鰯、油粕)を、大和から下る際には農産物を運びました。 |
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三宅町石見の「鏡作神社」
「寺川」の「今里橋」を渡って、西へ行くと三宅町石見の集落で、「新池」沿いに北西へ向かうと、近鉄橿原線「石見駅」へ至りますが、駅の手前で、東側に石見の「鏡作神社」が鎮座しています。祭神は、三種神器の1つ八咫鏡を鋳造した石凝姥(いしこりどめ)命です。昭和48年秋諸造営して、神域が一新されましたが、この辺りが「条里の森」。条里制は、古代の土地区画制で、律令制が完成した奈良時代に整備されて、東西・南北各六町(約650m)の間隔で土地を「里」と呼ぶ方格に区画され、東西列を条、南北列を里、更に1里を36の方1町の「坪」に細分し、何条何里何坪と呼び、条里の交点に近年森を作りました。 |
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称名寺 (しょうみょうじ)
三宅町石見の「鏡作神社」から西へ向うと、近鉄石見駅へ至るまでに浄土宗、恵日山「称名寺」があり、寺門を入ると正面に本堂、向かって右に地蔵堂、左に庫裡が建っています。本尊は「阿弥陀如来座像」で、左右に「観音菩薩、勢至菩薩」の両脇侍がいる阿弥陀三尊仏です。なお、「称名寺」からちょっと南へ行くと、集落内の通路は、袋小路、L型、T型の迷路で、直進するには極めて不便な道ですが、その一角に「御倉跡」と言われる昔の公共倉庫があります。現在は瓦葺、トタン壁の古びた倉庫で、御倉屋敷の大きさは、縦5間半(約10m)、横3間半(約6.4m)程あり、年貢米の保管や備荒貯蓄などに用いていました。 |