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田原本町「鍵(かぎ)の蛇巻(じゃま)き」
「安養寺」から西へ行って「寺川」を渡ると、北中学校の北西角、道を隔てた所に「鍵の蛇巻き」があります。田原本町鍵では、毎年6月の第一日曜日に豊饒祈願と男子の成人を祝って節句の行事が行われ、藁で作った蛇の頭を17歳の男子が担いで、他の少年達が蛇の尾の方を持ち、お互いに引っ張りながら、集落の中を練り歩きます。これは17歳の男子が少年の仲間から離脱する儀式で、巡行の後、榎(えのき)の木に蛇の頭を下にして、尾の方を上へと巻き付けるので、「鍵の蛇巻き」は、「降(くだ)り龍」と云われて、昭和58年文化庁より「今里の蛇巻き」と共に大和の野神行事として、無形民俗文化財に指定されました。 |
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田原本町鍵の「八坂神社」、「田中荘跡」
「鍵の蛇巻き」から「北中学校」校庭に沿って東へ行き、直ぐ北へ向かって集落へ入ると「八坂神社」が鎮座しています。この辺りは、平安時代に大和国城下(しきげ)郡東郷「田中荘」で、「源氏物語」の作者紫式部の夫、藤原宣考の荘園でした。彼は、平安時代中期の官人で、父は権中納言藤原為輔、母は参議藤原守義の娘。官位は左衛門尉、六位蔵人、判官代、筑前守、右衛門佐・兼山城守に任じられ、999年(長保元年)46歳の時、又従姉妹(またいとこ)の紫式部29歳と結婚し、同年末か翌年に娘・賢子(たかこ)が誕生。1001年(長保3年)山城守正五位で没。なお、「田中荘」は、後に「興福寺」の荘園でした。 |
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「今里の蛇巻(じゃまき、昇り龍)」
藤原宣孝(のぶたか)の「田中荘の跡」から北西へ行くと、「寺川」の「今里橋」の手前に「正福寺」と「杵築神社」が鎮座し、境内の脇に「今里の蛇巻」があります。田原本町今里では、毎年6月第一日曜日に農作物の豊作を祈ると共に男子の成人を祝う節句行事が行われ、蛇の形をした長さ18mの蛇綱を新しい麦藁で作り、13歳から15歳の男子が蛇の頭を担ぎ、それより年下の男子と当屋の男達が胴を持ち、集落の家々を廻り、大声で「おめでとう」と叫びながら祝福して、また、その練り道中で誰彼の区別なく、蛇綱で人を巻き込んだりします。なお、巡行が終わった後、蛇綱は、頭の方を上にして大木に巻き付けられます。 |