月ヶ瀬  その1
 真福寺(TEL 07439-2-0432)

 月ヶ瀬へは、三重県上野市の近鉄「上野市駅」からすぐの所、三重交通のバス停「上野産業会館」6番乗場より、永谷辻経由「桃香野口」行のバスに乗車し、バス停「月ヶ瀬尾山」で下車して、尾山の集落を西へ向うと、月ヶ瀬十六勝の1つで、過っては頼山陽も訪れた梅林発祥の地に高野山真言宗尾勝山「真福寺」があります。本尊は、奈良市文化「木造地蔵菩薩立像」で、像高約90cmの一木造、平安時代後期(藤原時代)の作、奈良風を取り入れた定朝様式が感じられる秀作、元は金帛(きんぱく)で塗られていたらしく、台や光背は江戸時代に補作され、今は全体が塗り替えられ、また、厨子は桃山時代の様式を伝えています。
 姫若(ひめわか)の梅

 なお、「真福寺」の境内に「姫若の梅」が植わっています。1331年(元弘元年)後醍醐天皇が難を逃れて笠置山に身を寄せられた折、女官の一部が月ヶ瀬方面へ逃げ、その1人姫若が園生(そのう)の森で倒れていたところを村人に助けられ、「真福寺」に近い「姫若塚」付近に住まわせてもらい滞留しましたが、姫は村人に感謝し、ここに梅の木を植え、その熟れた梅を用いて口紅を作る技(わざ)を村人に教え、また青梅を乾かして燻製(くんせい)にした墨梅(すみうめ)、つまり烏梅(うばい、紅染めの媒染剤、薬料)を作り、京都へ売りに行って、儲けさせたと云われ、1640年代(正保年間)村が梅の里になりました。
 月ヶ瀬尾山「天満天神社」

 なお、姫若は、地元では園生姫(そのうひめ)とも云われ、烏梅(うばい)の製法は現在では日本でただ1人、梅古庵の八代目中西喜祥さんが今日まで往時の烏梅作りの製法技術を守り続けておられます。また、「真福寺」より更に西へ行くと、尾山「天満天神社」が五月川(名張川)を眼下に望む崖の上に鎮座しています。元は「真福寺」境内に鎮座していましたけど、明治19年ここに移転して来ました。なお1205年(元久2年)往古当地は、寺村(現在の奈良市月ヶ瀬尾山)と称し、当「天神社」は産土神として菅原道真を祀り、その神霊を慰める為に道真が好んだ梅樹を栽植したのが「月ヶ瀬の梅」の初めと云われています。




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