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松尾芭蕉の句碑
「月ヶ瀬橋」を渡って、右(西)へ向かい、「名勝月瀬梅林」と彫られた石碑を左に見て、「一目万本」と書かれた案内板に従い、徒歩約5分ほど急な山道を登ると、木立が邪魔をして一目万本の梅は、余り見えないけど、苔むした松尾芭蕉の句碑が建っています。
春もやや けしきととのふ 月と梅 芭蕉
と云っても、芭蕉が「月ヶ瀬梅渓」に訪れて句を詠んだと云う確証はありません。月ヶ瀬村の隣、伊賀上野の人「松尾芭蕉」が何となく「月ヶ瀬梅渓」で詠んだ様な句なので、最もらしく建てられているだけです。 |
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八幡橋(やわたばし)
石碑「月瀬梅林」の所までまた下りて、更に五月川沿いに西へ辿ると、川沿いに「コケ石梅林」「奧の谷梅林」等と書かれた木柱が建っていて、「へら鮒供養塔」の石碑もあり、やがて「八幡橋」のたもとに至ります。ここも「高山ダム」の建設により水没した元の石橋(沈下橋)の代換として昭和43年1月竣工した幅3.5m、延長160mの重橋床式・ホ吊橋(こうちょうばし)です。なお、古くはここにも渡し舟の便がありましたが、その後、昭和29年3月石を渡した「沈下橋」が架設され、水が溢れたら流れることなく沈下していたけど、流石の伊勢湾台風では流され、外2回ほど流れて、その都度架け替えられていました。 |
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谷崎潤一郎の歌碑
「八幡橋」を渡って、「月ヶ瀬梅渓」を回遊する事も出来ますが、橋を渡らず、更に西へ辿ると、「谷崎潤一郎」の歌碑が建っています。大正・昭和にかけて春琴抄、細雪など多くの著作を続け、文化勲章を受賞した彼は、改造社刊「日本地理大系」に次の文を添え「名所と云うものは行って見るとさほどでもない所が多い。けれど昔から花の吉野と並び称されている月ヶ瀬の梅ばかりは真にその名に背かない。あの五月川を挟んで蛇蜒一里に余る渓谷に真珠の粒をばらまいた様な萬朶の花の香る景色を私は毎年早春頃になると思い出す。今年も行ったし2・3年前にも行ったが又来る年も来る年も暇さえあれば何時でも行きたいと思う」 |