旧柳生街道「滝坂の道」  その16

 柳生の北東に位置する「古城山」

 「十兵衛杉」の植わっている山の対岸、「今川」と県道を挟んで東側の真向かいの山が「古城山」です。1331年(元弘元年)第96代後醍醐天皇が討幕の計画を進めたが密告により発覚して、天皇は笠置山へ逃れました。この元弘の乱において、後醍醐天皇側にあって、笠置の南部の「古城山」に立て籠もったのが柳生永珍で、同年8月に天皇方の唯一の糧道であった柳生方面を守っていて、南麓の珠数口坂で兵13名が戦死しました。なお、「古城山」に登ると、山頂はわりかし平坦で、「剣塚」等もあって、堀の跡も見られ、また、「古城山」の東側を縫う「東海自然歩道」は、ハイキングコース「柳生沿線探勝路」でもあります。
 室町時代作の「阿対(あたや)の石仏」

 「十兵衛杉」が植わっている山の麓を通る道もまた「東海自然歩道」で、北へ向かって歩くと、左(西)側の奧に「中宮寺」や「塚穴古墳」があり、更に進むと、お城の様な民家が道の右側に建っています。この辺りから「今川」が「打滝川」と名を変えて、県道が「打滝川」をまたぐ橋を渡って、川沿いに北へ進むと山際の岩肌に、流行病(はやりやまい)よけの願いを聞いてくれる「阿弥陀如来」が彫られ、その横下には「地蔵」が彫られ、子供のいない人が豆腐を供えると思うままに子が授かると云われ、子が出来たら千個の数珠(じゅず)を作ってお礼詣りをしますけど、今も数珠があるところを見ると、ご利益がありそうです。




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