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柳生の北東に位置する「古城山」
「十兵衛杉」の植わっている山の対岸、「今川」と県道を挟んで東側の真向かいの山が「古城山」です。1331年(元弘元年)第96代後醍醐天皇が討幕の計画を進めたが密告により発覚して、天皇は笠置山へ逃れました。この元弘の乱において、後醍醐天皇側にあって、笠置の南部の「古城山」に立て籠もったのが柳生永珍で、同年8月に天皇方の唯一の糧道であった柳生方面を守っていて、南麓の珠数口坂で兵13名が戦死しました。なお、「古城山」に登ると、山頂はわりかし平坦で、「剣塚」等もあって、堀の跡も見られ、また、「古城山」の東側を縫う「東海自然歩道」は、ハイキングコース「柳生沿線探勝路」でもあります。 |