山背(やましろ)古道  その11

 和伎神社(わきじんじゃ、涌出宮)

 「神童寺」から茶畑を通って下りて、「鳴子川」を渡って直ぐに、北側の山を越して西へ向かうと、JR奈良線「棚倉駅」に至りますが、駅の手前に「和伎座天乃夫岐売(わきにますあめのふきめ)神社」が鎮座しています。766年(天平神護2年)伊勢国から祭神を遷しましたが、この時一夜にして森が湧き出し、4町8反(約17851平米)が神域と化したので、「涌出宮(わきでノみや)」とも呼ばれています。広本殿は、1692年(元禄5年)建造で、農耕神として信仰され、弥生時代の出土品や南北朝時代の石灯籠等があり、毎年2月15日から3日間行われる「居籠(いごもり)祭」は、南山城地方で最古の祭りです。
 天井川の「不動川(ふどうがわ)」

 「涌出宮」の鳥居をくぐつて出て、JR奈良線「棚倉(たなくら)駅」の前から北へ行き、踏切を渡る時に線路の北側(京都方面)を見ると、トンネルが見えますが、山をくり抜いたトンネルでなく、トンネルの上を「不動川」が流れています。手前の第一平尾踏切を渡り、少し大きな道を横切って、細い路地へ入り、途中から登って北へ抜けると、古道は「不動中橋」へ出ますが、「不動川」は、「木津川」へ流れ込む川の1つ(普段は、上流の水が木津川まで流れ込まずに、途中で川底に消えます)ですが、辺りの地面より川の水面が高い天井川で、堤防上に民話「蟹の恩返し」が描かれ、上流に「不動川砂防歴史公園」があります。
 災害記念塔

 また、「不動中橋」を渡り、土手から右へ下りて、道なりに左へ曲がり、「山下踏切」を渡らずJR奈良線に沿って北へ行き、次の踏切も渡らず左へ曲がり、少し西へ行ってから右に曲がって北へ行くと、道に面して「災害記念塔」が建っています。昭和28年8月15日拂暁、未曽有の豪雨428ミリが南山城一帯に降り、各河川が氾濫し、道路堤防の決壊、橋の流失、家屋の浸水倒壊は全半壊904戸で、死者336名、床上浸水2851戸、その他に田畑の埋没や、山林の崩潰など、被災の甚大に対し村民は一時茫然自失す、されど天の猛威に屈せず有らゆる困難を克服して復興され、その「災害記念碑」がここに建てられました。




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