山背(やましろ)古道  その12

 蟹満寺(TEL 0774-86-2577)

 「災害記念塔」からまた北へ向い、突き当って右へ折れ、集落の中へ入って、山背古道を左へ折れると、左側に真言宗智山派普門山「蟹満寺(かにまんじ)」があります。寺の創建は古く、7世紀の後半、奈良朝以前の白鳳時代にさかのぼり、秦氏の一族・秦和賀によって建立され、後に行基菩薩が関与して民衆の厚い信仰を集めました。なお、昔の寺域は広大で、境内の背後を流れる「天神川」を越え200m四方に及んでいました。また、本堂に安置されている国宝の本尊は白鳳時代の「釈迦如来坐像」で、高さが262cm、重さ7tの銅像で、螺髪と白毫がなく、指の間に曼網相と云う水掻きの様なものがある変わった仏像です。
 蟹満寺の「観音堂」

 なお、「蟹満寺」の本堂の斜め前が「厄除家内安全諸願成就祈念所」で、「聖観世音菩薩像」を安置した「観音堂」が建ち、向かって左側の軒下に黄金の蟹が蛇を夾んでいる「蟹満寺」の額が懸かっていますが、「今昔物語集、巻十六第十六話」の”蟹の恩返し”で知られている「蟹満寺縁起」は、昔この辺りに住んでいた慈悲深い娘が蟹を救って、後に蛇にだまされそうになった時、観音菩薩が現れて、多くの蟹に蛇退治を命じました。よって、沢山の蟹が満ち満ち、恐ろしい災難から救われた因縁で建てられたお寺なので、「蟹満寺」と名付けて、また、娘が日頃から観音経の普門品を読誦していたので山号を「普門山」と称します。
 綺原(かんばら)神社

 なお、「蟹満寺」はかって「蟹満多寺」「紙幡寺」等と記されていますが、これは、この地が京都府相楽郡蟹幡(かにはた、加無波多)郷に属していたので、「蟹満寺」もこの郷名を冠したお寺です。また、道を隔てて東隣に「綺原神社」が鎮座し、鳥居をくぐって入ると、右側の手水舎(ちょうずしゃ)で牛が口から水を吐き出しています。なお、お祭りでは、江戸時代以前の由緒ある神輿(みこし)が今も現役で担がれ、神輿には、9人の子供が乗り込んで、JR奈良線「棚倉(たなくら)駅」前の「涌出宮」でお祓いを受け、町内を北上して「綺原神社」へ入ります。なお、神輿の担ぎ手は、綺原神社の氏子青年会が担当されます。




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