山背(やましろ)古道  その14

 井手左大臣「橘諸兄公旧跡」

 「阿弥陀寺」から更に北へ向い、天井川の「渋川」下のトンネルを潜って右へ折れ、「渋川」沿いに東へ向うと、山際に至って右(東)奧に墓地があり、更に北へ進んで墓地の隣で右へ折れ、山道を東へ向うと、両側に竹林が満悦され、やがて左側に山吹が植えられた石段を登った所に「橘諸兄(たちばなノもろえ)旧跡」の碑が建っています。橘諸兄は、684年(天武13年)に生まれ、父は美努王、母は県犬養三千代、敏達天皇五世の孫、光明皇后の異父兄で、本名は葛城王、後に母の氏を賜って「橘諸兄」と称し、738年(天平10年)右大臣、743年(天平15年)左大臣になり、井手に住し「井手左大臣」と号しました。
 弥勒(みろく)石仏

 「橘諸兄公旧跡」から下りて、また山道を北へ辿り東へ分け入ると、山道から更に崖を数十m登った所の岩肌に「弥勒菩薩」が刻まれています。花崗岩に腺刻された三体の仏様は、言い伝えによると、奈良時代、橘諸兄の館建立に際し、鬼門除けとして刻まれたものと云われていますが、しかし、実際には鎌倉時代から室町時代にかけて戦乱に明け暮れた武士の支配体制に苦しみ、その日暮らしがやっとだったと思われる農民達が心のよりどころとして刻んだものです。そこから山を下りて、西へ辿ると、浄水場の所で「山背古道」と出会いますが、そのまま道を横切って、更に田圃の横を通り、西へ向かうと、井手町の集落に至ります。
 宮本水車旧蹟

 また、浄水場の所から「山背古道」を北東へ辿ると「玉川」の「橋本橋」の手前に「宮本水車旧蹟」碑が建っています。現在もう水車は、ありませんが、昔の名残とて、記念碑に向かって左側に小さな滝があって小川が流れ、玉川へそそぎ込んでいます。この辺り、玉川沿いには、日照りが続いても枯れる事のなかった水を利用して終戦後も、精米・製粉から、牡蠣貝殻の製粉などに水車が大いに活躍し、朝から晩まで休む事なくコットンコットン音を発てていましたが、しかし昭和28年8月15日この地方を襲った大水害により水車小屋が跡形もなく流され、今は、水車に利用していた水路と石臼だけが、昔の繁栄を物語っています。
 「下帯恋物語」の「椿坂」

 「宮本水車旧蹟」から西へ行くと井手町の繁華街ですが、「山背古道」を北へ行って「玉川の橋本橋」を渡ると「地蔵禅院」への近道で、広い府道へ出るまでに、今は足場が悪く誰も通らない井手町上井手の棚田の所に「椿坂」があります。平安時代中期に書かれた「大和物語」百六十九段に載っている「下帯恋物語」の舞台でもある「椿坂」です。その直ぐ右(東)側に「井手町まちづくりセンター(TEL 0774-82-3838)」が平成15年4月オープンし、里山の景観を活かして昔の農家をイメージする囲炉裏やかまどを備えた交流棟、陶芸などが出来る活動棟など3棟があり、開館は9:00〜17:00、休館は火曜と年末年始です。




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