山背(やましろ)古道  その15

 聖武天皇もここの水を飲んだ「六角井戸」

 井手町の集落へ入り、少し南へ戻ると「六角井戸」があります。天平時代の左大臣「橘諸兄」公が、ここ井手町に別荘を構えて住んでいましたが、この六角形に組まれた珍しい井戸は、諸兄の館(やかた)「玉井頓宮(たまいとんぐう)」の名残で、「公の井戸」とも呼ばれ、「玉井頓宮」へは、聖武天皇が平城宮から恭仁京へ遷都(せんと)し、740年(天平12年)11月8日に来られて肆宴(しえん)され、その際に橘諸兄が詠んだ万葉歌碑が井戸の横に建っています。

 葎(むぐら)はふ 賤(いや)しきやども 大君の
 坐さむと知らば 玉敷かましを 巻19−4270
 桜と山吹の名所、井手の「玉川(たまがわ)」

 「六角井戸」のある集落から北へ辿ると、井手町の中央を東西に流れる「玉川」へ至ります。奈良時代の天平の昔に、「井手左大臣橘諸兄」が水際にくまなく「山吹」を植えさせたと云われ、永年その美を誇り、日本六玉川の1つで、古来から和歌などによく詠まれ

 駒とめて なお水かはむ山吹の 花の露そふ
 井手の玉川     藤原俊成 新古今和歌集

なお、「山吹」は井手町の花ですが、昭和28年8月「玉川」が氾濫し、水害でかなり痛め付けられましたが、近年は地元の努力が実って、桜の後に咲きます。
 蛙塚(かわづづか)

 桜並木の天井川「玉川」の「奥玉川橋」を渡って、川沿いに左(西)へ行くと、JR奈良線「玉水駅」へ至りますが、五又路のちょっと細い道を左へ入って、北へ向かうと直ぐ、「玉川保育園」の北裏に「蛙塚」があります。「井手町」と「蛙(かはづ)」は、共に古来から多くの歌に詠まれ、「井手」の枕詞(まくらことば)として「かはづ」が用いられて来ましたが、詩情豊かな井手町には「蛙塚」の他「蛙橋」が「奧玉川橋」の上流にあり、「蛙の手水舎」等もあります。

   みがくれて すだくかわづのもろ声に
   さはぎぞわたる 井手のうき草
 「三彩」瓦出土の「井堤寺(いでじ)跡」

 「蛙塚」から又道へ出て、北へ歩き突き当たったら右へ曲がって、2車線の大きな道へ上がり、少し南へ戻り、道なりに左へ曲がって東へ行くと、途中右側に「井堤寺跡」があります。天平時代の左大臣で、万葉集の撰者でもあった「橘諸兄」が母・三千代の一周忌にちなみ氏寺を創建した七堂伽藍の寺跡で、西方浄土を形付けようと、境内を始め借景となる「玉川堤」他一帯に5月頃黄色い花が咲く黄金の花、「山吹」を植えたと云われています。なお、「井堤寺」は、「円堤寺(えんていじ)」とも称し、寺跡から礎石の他、銅銭、海獣葡萄鏡、三色の釉薬をかけた「三彩」の垂木先瓦片等が出土し、晩年小野小町も住んでいました。




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