山背(やましろ)古道  その21

 大蓮寺(TEL 0774-52-0636)

 「旦椋神社」からまた西へ戻り、JR奈良線の踏切を越え「奈良街道」へ突き当たったら右へ折れて北へ行き、赤いトタン屋根の角を左へ廻って西へ入ると、正面に浄土宗「大蓮寺(だいれんじ)」の小さな山門が見え、門をくぐると、右手に本堂が建ち、本堂の前に「薩摩芋と葉っぱ」を浮かせた変わったお墓があります。一般に日本では、「甘藷(かんしょ)」の元祖を青木昆陽としていますが、実はそれよりも10数年早く、1716年(享保元年)琉球からこの地に「甘藷(寺田いも)」の苗を持ち帰って移植したのが、島利兵衛(しまりへえ)で、飢餓から人々の命を救い、その遺徳を讃えて、大蓮寺の境内に建てられました。
 荒見(あらみ)神社の重文「本殿」

 「大蓮寺」を出て、また「山背古道」を北へ辿ると道の左側に昭和3年秋に建てられた「南奈良街道」の石標があり、更に北へ行くと、国道24号線へ出会す少し手前で右へ入って行くと、JR奈良線「長池駅」があります。なお、「山背古道」は、更に手前で右へ曲がりますが、国道24号線を渡って西へ少し行くと「荒見神社」が鎮座しています。創建は皇紀1307年、即ち647年(大化3年)で、旧富野村の産土神です。元は五社谷の浄地にありましたが、1461年(寛正2年)3月現在地に遷宮し、社殿は1604年(慶長9年)9月に再建され、三間社流造、檜皮葺。祭神は、五柱で、「おいで祭」は10月1日〜5日。
 国史跡「森山(もりやま)遺跡」

 少し横道にそれたが、また、JR奈良線「長池駅」の方へ戻り、左の駅の方へ入らず、「奈良街道」を南へ向い、接骨院の所で左に折れ、JRの踏切を渡り、また「山背古道」を進み住宅街を通って「二番通り」を右(東)へ行くと公園に「森山遺跡」があります。昭和51年宅地造成中に発見され、約4000年前の縄文後期〜約1400年前の古墳時代までの集落の跡で、縄文時代は広場を中心に6棟の竪穴式住居がU字形に並び、集落の南端に配石遺構と呼ばれる墓も見つかり、20〜30人が住んでた様で、また、古墳時代は住居跡10棟、方形周構の盛土から土器も出土し、縄文時代の集落跡としては南山城で唯一の遺跡です。




奈良観光表紙に戻る  山背古道北部周辺図を開く  前のページに戻る   次のページに進む