奈良市の東端「田原」「水間」から「山添村」  その5

 樋速日神の古墳「王塚(おおづか)」さん

 「神野山」展望台の直ぐ東側に小さな鳥居が建ち、「王塚」があります。樋速日神(ひはやひノかみ)の古墳と云われ、樋速日神は、伊邪那岐命が伊邪那美命の死因となった迦具土神を十拳の剣で斬り殺した時、ほとばしり出た血潮が付いた石から生まれた女神で、伊勢に住み、余りにも美人なので、多くの男神が言い寄ったが、女神は煩わしいので伊勢から熊野を通って吉野へ逃げ、それこからまた北上して、「弁天池」に飛び込み、大蛇(おろち)に身を変えていましたら、大蛇が女神とは知らない男神が斬り殺したので、見る見る大蛇は元の女神の姿に戻り、女神の死を知った男神は、嘆き悲しみ、ここに女神を手厚く葬りました。
 神野寺(こうのじ、TEL 0743-87-0117)

 「王塚」の前を進み、左(東)に茶畑を見ながら山を下ると真言宗豊山派髪生山「神野寺」があります。730年(天平2年)聖武天皇の勅命で行基が平城京の鬼門鎮護のため創建した法性寺正院が、後に神野親王(嵯峨天皇)の二字を賜って「神野寺」と称し、歴代天皇の尊崇も篤く、清和上皇が行幸した大和・山城・摂津3ケ所13ケ寺の1つで、明治末まで屋根瓦に菊の紋章を使い、慶長年間、文化5年、明治10年と3回の火災で主な記録が焼失し、本尊は「薬師如来」で、重文で奈良国立博物館に寄託の「銅造菩薩半珈像(如意輪観音像)」、像高25.1cmは、火災で全身荒れているが、目鼻立ちの優しい飛鳥後期仏です。
 山添村指定天然記念物「天狗杉」

 戦時召集で供出され、平成元年8月やっと復興した「神野寺の平成の鐘」が吊された「鐘楼門(長屋)」をくぐって、聖天堂(しょうてんどう)の前を通り、ちょっと西の奧へ行くと、大きな木が立ちはだかり、「天狗杉」が植わっています。胸高幹周4.24m、地上2mで3本に幹が分かれて、樹高約20m、推定樹齢250〜300年です。昔から「神野山(こうのやま)」は、天狗伝説の中心地で、この近くに初代の天狗杉が植わり、多くの民話と共に地域住民の尊崇を受けていましたが、枯死(こし)したので、神野山の裏山に位置するここに植わっていたこの杉の巨樹が、「天狗杉」の名称を引き継いで、今に至っています。
 大蛇(樋速日神)が潜んでいた「弁天池」

 聖武天皇勅願所の表札がかかる山門を出て、真言宗神野山、一心院「神野寺」と彫られた大きなの石碑の建つ参道を通り抜け、トイレの所で左へ曲がり平坦な道を進むと、右手に茶畑が広がり、「県立月ヶ瀬神野山自然公園」の標柱が建っている所から、右(東)へ行くと、「山添村伏拝」への道で、そのまま真っ直ぐ行くと「鍋倉渓(なべくらけい)」への道で、左側に赤い小さな鳥居が建ち、奧へ進むと鬱蒼とした木立の中に小さな社の「弁才天」が祀られています。また、元の道に戻って真っ直ぐ進むと、幽すいの「弁天池」があつて、澄み切った水面に食虫植物のジュンサイが浮かび、夏頃ならハッショウトンボが飛んでいます。




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