吉野  その8

 大日寺(TEL 07463-2-4354)

 吉野山まで戻って、吉野「勝手神社」の前から西へちょっと歩いて、少し急な崖の道を下りると、宝形造の本堂を備えた真言宗醍醐派日雄山「大日寺」が在ります。ここは、役行者の高弟・日雄角乗(ひのうかくじょう)が開基した吉野山最古の寺院「日雄寺」の跡で、大海人皇子に縁が有り、南北朝時代、1333年(元弘3年)吉野落城時に大塔宮護良親王の身代りになった村上父子の菩提寺で、寺は室町時代に焼失し、今は大日如来を中尊として左右に阿閲(あしゅく)、宝生(ほうしょう)、無量寿、不空成就の4体の如来坐像が安置され、当地方では珍しく、藤原時代作の重文、金剛界五智如来が五体諸尊完全に揃っています。
 喜蔵院(きぞういん、TEL 07463-2-3014)

 「勝手神社」の横から3本に分かれた真ん中の宮坂を南へ上がると、左(東)側に、白く長い土塀に囲まれて、本山修験宗大峯山(護法山)「喜蔵院」が在ります。大峯山寺を護持する護持院の1つで、開祖は、役行者、840年頃(承和年間)近江の園城寺(おんじょうじ、三井寺)を開いた智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)が大峯山の入峰に際して創立され、1660年頃(寛文年間)儒者の熊沢蕃山が由比正雪の乱に関係して、幕府に睨まれ、明石、大和郡山と流れて、ここへも身を隠し、次ぎの歌を残しています。

 この春は吉野の山の山守となりとこそしれ花の心を
 宿坊「喜蔵院」の本堂

 陽明学者、熊沢蕃山の歌碑は正面玄関の脇に在り、本堂は、南の一番奥に建っていて、木造桧皮葺、宝形造で、向拝が付いており、本尊の役行者、蔵王権現、不動明王、天狗などが祀られています。なお、喜蔵院は、修験道本山派の先達で、聖護院宮の大峯修行の際に、逆峰し熊野から大峯山へ入って、吉野へ下られた本山修験の到着所で、吉野山4宿坊の1つ、広い客殿や大広間が在り、今ではユースホステルとしても親しまれています。また、「喜蔵院」には花の吉野に相応しく、1796年(寛政8年)に三熊露香(みくまろか)女史が描いた36品種の桜の絹表具、「桜の譜」が在り、桜の研究資料として、大変貴重な標本です。
 善福寺(TEL 07463-2-3747)

 「喜蔵院」から更に南へ行くと「桜本坊」ですが、そのちょっと前で、尾根道から右(西)へ小さな道を下りて行くと、高野山真言宗井光山「善福寺」が在ります。神武天皇東征の砌、八咫烏と供に道案内をした吉野首(おびと、井光大神)の縦穴式住居があった所で、今も境内北側の崖下に井光(いひかり)井戸跡があります。開基は役行者で、空海も唐へ渡る前、大峯山で修行中、井光山で一服しました。なお、チベット密教のティムパルが鳴り響く本堂の本尊は「薬師瑠璃光如来」で、その左脇侍が役行者、右脇侍は吉野山で最も姿が美しい蔵王権現です。また、当寺は日本で唯一、秘法蔵王権現浴油法ができるお寺でもあります。




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