五條市  その3

 奈良県指定文化財「岡松家長屋門」

 「金剛寺」の前の道を西へ行って、直ぐに三叉路の角がバス停「金剛寺」で、そこを左(南)へ曲がると長い「岡松家長屋門」が建っています。豪農岡松家は野原(五条市野原町)の代官として知られたお宅で、現在もなお屋敷は広大な面積を占め、表通りに面して一杯に「長屋門」を構え、元は前面に「松の馬場」を持っていました。なお、「長屋門」の建造年代は明らかではありませんが、すでに焼失した主屋が、桃山時代を下らない時期の建造と考えられていましたので、この「長屋門」もそれに続く物と考えられています。なお、門内は普通の住宅で今も住んでおられるため、非公開ですが、市内には他にも江戸時代の民家あり。
 如意寺(TEL 07472-4-3951)

 「岡松家長屋門」から南へ行き、次のバス停「辯天宗本部」で角を右(西)へ入って行くと、辯天宗本山の宇賀山妙音院「如意寺(大和本部)」があります。宗教法人「辯天宗」は、昭和27年宗祖の智辯尊女により立宗されて、御本尊として大辯才天女尊を祀り、御本尊の教え「水のおさとし」の実践を通し、世界の人々が「みんな仲良く楽しく暮らせる世界」の実現を目指しておられます。なお、通称「大和本部」と呼ばれる「如意寺」は、奈良県五條市野原町に昭和29年落慶し、春秋の大祭など年間を通じ多くの行事が執行され、また、宗祖さまの「御廟」は、「如意寺」より徒歩約15分の「蓬莱山」と云う丘の上にあります。
 五條市野原町の「観音寺(かんのんじ)」

 辯天宗本山の宇賀山妙音院「如意寺」からまた東へ出て、県道赤滝五條線を真っ直ぐ南へ行くと、五條市野原町、八幡(はちまん)川の西岸で、三叉路の北西角に浄土宗・南方山「観音寺」があります。本尊は、「阿弥陀如来」で、脇侍に「観音・勢至」の両菩薩を従えた三尊仏です。なお、浄土宗へ改宗されたのは、1670年代(寛文年間)と云われています。本堂の西側に「観音菩薩」を祀った「観音堂」があり、枝垂桜の植わる境内の石灯籠には江戸時代中頃、寛文9年(1669年)の銘があります。また、ここから北西へ行った所にある高野山真言宗「十輪寺(じゅうりんじ)」は、奈良時代の高僧「行基菩薩」の開基寺です。
 御霊神社(ごりょう、御霊本宮)

 「観音寺」から南へ行って「八幡橋」を渡り、更に細い道を南へ行くと、歩道橋の下が今はバス専用道路「五新鉄道跡」で、更に南へ向かい、突き当たって、右(西)へ行くと、霊安寺町の「御霊神社」です。市内に数ある御霊神社(全部で23)の本宮で、祭神は井上(いのえ)内親王と、子の他戸(おさべ)親王、更に早良(さわら)親王、後一柱は「御霊神社」裏の崖下を流れる丹生川(にうがわ)を隔てた御山(みやま)町の火雷神社(からいじんじゃ、若宮火雷神社)に祀る他戸親王の弟である火雷(ほのいかずち)神を合わせて四所大明神です。1637年(寛永14年)に再建された本殿は、県文化財に指定されています。
 吉祥寺(きっしょうじ、TEL 07472-2-0332)

 「御霊神社(御霊本宮)」裏の崖下から国道168号線を南下し、丹生(にう)川の「下田橋」を渡って直ぐ、国道から右へ分かれて県道55号橋本五條線へ入ると「光仁天皇皇后宇智陵」へ至りますが、国道を更にちょっと進み、次の枝道を右へ約800mばかり南へ入って行くと五條市丹原(たんばら)町で真言宗柴水山「吉祥寺」へ至ります。弘法大師の空海が高野山の守りとして毘沙門天を刻み、祀ったのが起源で、日本三毘沙門霊場の1つです。なお、寺では鎌倉時代前期の作と云われる県文化「絹本著色(きぬほんちょしょく)阿弥陀三尊六地蔵来迎図」を所蔵し、また、毎年8月1日〜25日「吉祥寺もみじ葵祭り」です。




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