こもりくの泊瀬「初瀬街道」長谷寺の辺り  その3

 総本山「長谷寺」西の入口

 「野見宿禰塚跡」から「桜井東中学校」まで戻り、左手に校庭を見ながら東側へ廻ると、そこにも万葉集巻6−991の歌碑が建っています。また、初瀬川を渡り、国道165号線へ出て東へ行くと、道の右側に「初瀬観光センター」があり、観光パンフレット等を置いておられます。更にそこから東へ行くと、直ぐに道が二股になり、右が国道165号線で、左が総本山「長谷寺」への門前街、入口の両脇に大きな石灯籠が建っていますが、かってはここに大鳥居が建っていて「大鳥居跡石」が残っています。なお、門前街の後ろに見える山は、長谷寺の寺領「大泊瀬山(与喜山原始林)」で、頂上が天神山(標高455.3m)です。
 延喜式内社「長谷山口坐神社」

 長谷寺の門前街の途中から右へ入って大和川(初瀬川)の赤い「神河橋」を渡ると、左側に元伊勢「磯城伊豆加志(厳橿)本宮伝承地域」の石碑が建ち、そこから丘へ上がると「長谷山口坐神社」です。祭神は、長谷山の鎮(しづめ)神として「大山祇神」を祀り、この地は古文で三神(みかみ)の里、川は神河、淵は神河浦と書かれて、崇神天皇即位43年9月9日より8年間「磯城厳橿(しきいつきかし)本宮」に「天照大神」を祀った時、随神「天手力雄の神」もここに祀り、「豊秋津姫の神」を北山の中腹に祀っています。また、近世になり、明治42年初瀬平田(ひらた)にあった豊受神社の「豊受姫の神」が合祀されました。
 旧郷社「与喜(よき)天満神社」

 「長谷山口神社」から、参道の石段を登って来た方でなく、境内を通り越して反対の東へ出ると、「化粧(けはい)坂」です。古代の倭姫命や、後世の伊勢へ向かう女人が長谷寺から坂を登って一汗かき、化粧を直した坂で、坂を左へ下ると、与喜山の中腹に「与喜天満宮」が鎮座しています。「倭姫命世記」に載っている「伊豆加志本宮」に比定され、「長谷寺霊験記」によると、946年(天慶9年)天神(菅原道真)が雷神になって峰に降臨し、「与喜大明神」と称して、社殿は1818年(文化5年)再建で、長谷寺との関係が深く、麓の初瀬川に架かっている「連歌橋」は、当社の連歌会に長谷寺の僧が渡って参加した橋です。
 磐座「泊瀬石(とませいし)」

 「天満宮」の鳥居の前から真っ直ぐ下り、初瀬川の天神橋を渡って、門前街に出ると、初瀬川が直角に曲がる川淵に磐座(いわくら)「泊瀬石」があります。平安時代末頃に書かれた「長谷寺縁起文」によると、初瀬川の上流にある滝蔵権現の傍らに天人(天神)が建てた祠があり、そこに毘沙門天が祀られていましたが、ある時、雷が天から落ちて来て、毘沙門天が手にしていた宝塔が転げ落ち、川に流れ、この瀬の石の上に泊まったので「泊瀬(とませ)石」と云い、また、「泊瀬(はつせ)石」とも云い、これが「初瀬」の地名の起源です。なお、宝塔の納められた所を豊山(ぶざん)と名付、今「長谷寺」の山号になっています。




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