県文化「春日神社」本殿 「玉列神社」から伊勢街道(東海自然歩道)を東へ向うと、道の突き当たりに、庭内に楠の大木が植わっている農家があり、その家の剥れた白壁に沿って右へ曲がると、「春日神社」が鎮座し、1603年(慶長8年)建立の本殿は、組物・虹梁など、細部の手法が優れた三間社春日造です。なお、近くの田圃から昭和59年発掘調査で「脇本東遺跡」が出土し、5世紀後半〜6世紀初頭の宮殿跡、第21代雄略天皇「泊瀬朝倉宮跡」と推定され、「万葉集」20巻、約4500首の巻頭を飾る天皇の歌はこの辺りで詠まれました。 籠(こ)もよ み籠持ち掘串(ふくし)もよ・ |
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白山神社(雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地) 「春日神社」から東へ行くと、「朝倉小学校」の西側と東側にも万葉集巻9−1664と巻3−428の歌碑があり、更に東へ行くと「白山神社」が鎮座し、境内右に「萬葉集發燿讃仰碑」と「雄略天皇」の万葉集巻1−1の歌碑が建っています。なお、雄略天皇の歌は上から3・4・5・6と心地よくせり上がって、 ・・み掘串持ち この丘に 菜摘(なつ)ます子 家告(いへの)らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居(を)れ 敷きなべて 我れこそ座(ま)せ 我れこそは 告(の)らめ 家も名をも 巻1−1 |
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十二柱神社(武烈天皇泊瀬列城宮伝承地) 「白山神社」から更に国道165号線を東へ行き、「流地蔵」の前を過ぎて、左(北)の旧街道へ入ると「十二柱神社」が鎮座しています。祭神は国常立命等の天神七代と地神五代の十二柱です。ここら辺りは、桜井市大字出雲で、第25代武烈天皇の「泊瀬列城宮(はつせノなみきノみや)」があった所とも云われ、また、土師氏の先祖で、野見宿禰(のみノすくね)が居た所で、境内には彼の顕彰碑と五輪塔があります。なお、彼は「山の辺」の「カタヤケシ」で、当麻蹶速(たいまノけはや)と我が国で初の天覧相撲をやって勝ったので、相撲に関するものとして、鳥居の左右に座る「狛犬」を小さな「力士像」が支えています。 |
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夏の夜に蛍が舞う「野見宿禰塚跡」 「十二柱神社」から更に東へ行き、国道165号線を横切って、直ぐ右の初瀬川を渡り、左に「桜井東中学校」を見て、突き当たった所を左へ曲がらず、右の路地へ入ると、狛川(こまがわ)を渡った田の畦道の所に碑「野見宿禰塚跡」が建っています。野見宿禰は天穂日命の末裔で、国技相撲の開祖、埴輪起源説話の土師連(はじノむらじ)の祖、菅原道真大江朝臣の先祖です。なお、明治16年まで直径20m以上の塚と五輪塔がここにあったが、その後、取り壊され、塚の中にあった朱を初瀬川に捨てたら、三日三晩川が赤く染まったそうです。また、塚からは、親子勾玉(子持勾玉)や埴輪、土器等が出土したと云われています。 |