「俊成碑」と「定家塚」 また、「玉鬘(たまかずら)」の「二本の杉」から更に先へ行くと、「俊成の碑」と「定家の塚」があります。藤原俊成(しゅんぜい)は平安末期、鎌倉初期の歌人で、正三位皇太后宮大夫に至り、五条三位と称され、定家(ていか)の父です。また、藤原定家は、鎌倉時代の歌人で、正二位権中納言、晩年出家して法名を明静と云い、「新古今和歌集」の撰者の一人で、「新勅撰和歌集」「小倉百人一首」の撰者でもあり、彼が、1205年(元久2年)長谷寺で呼んだ歌は、 年も経ぬ いのるちぎりは初瀬山 尾上の鐘の よその夕暮れ 「新古今和歌集」藤原定家