伊賀上野  その6
 昔の「伊賀の民家」と「武家屋敷」

 石碑「菊岡如幻翁旧宅跡」が建っている四つ角から東へ行き、次の四つ角を右に曲がって、中之立町通りを南へ向うと、角が「伊賀まちかど博物館(茶舗)」で、市内いたる所に「だんじり蔵」と「まちかど博物館」があり、街角の商家は軍備兼併の目的から、本瓦葺の土蔵造、専業のお店をやりながら館長(店主)のコレクションや技を公開しています。また、更に南へ向かうと途中、通りの右(西)側に昔の民家が建ち、塗込め格子の窓を持つ平屋建て二階(つし)造りで、外観は格子戸を施し、玄関は折戸式で、通し土間の方袖になっています。なお、写真の左隣が「武家屋敷」ですが、屋敷内を一般には公開されておられません。
 県指定文化財「愛宕神社」の本殿

 「中ノ立町通り」を更に南へ行って突き当たると、朱色の鳥居が建つ「愛宕神社」です。本殿の造営は、大檀那藤堂高虎の棟札から、元和2年(1616年)と考えられ、桁行5間、梁間2間、入母屋造、向拝3間で、向拝には軒唐破風が付き、屋根は檜皮葺でしたが、今は銅板葺に改められ、軒は二軒繁垂木で、平面は正方三方を縁にして擬宝珠高欄を廻らしています。本柱は総円柱で、土台、縁長押、内法長押、頭貫で、軸部を固め、組物を出三斗にして、木鼻は隅柱だけでなく柱頭に丸彫の獅子、象、竜を入れ、正面三面には中備とて蟇股を入れ、向拝に彫刻的要素を多用して、全体に極彩色を施し、華やかな作風を見せています。
 愛宕神社境内の「大福寺無名庵跡」

 昔、芭蕉の生家の裏屋敷に兄半左衛門と妹婿新蔵が芭蕉の為に「無名庵」を建てましたが、それが荒廃したので、1694年(元禄7年)「愛宕神社」別当寺「大福寺」五世東耕(とうこう)が貰い受け、寺の隅に移すと、芭蕉の門弟服部土芳(どぼう)が俳諧道場として伊賀芭蕉門の指導に当たり、土芳逝去後にまた荒廃すると、以厳(いげん)法師の代にまた解体して保管していたら、1754年(宝暦4年)土芳の門人西村几右(きゆう)が大福寺七世了忍(りょうにん)から貰い受け、城代家老藤堂元甫(げんぽ)の下屋敷に移して、庵号を「再形庵」とし、元甫逝去後、箕浦藤兵衛(みのうらとうべえ)の屋敷に移されました。



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