伊賀上野  その5
 鍵屋ノ辻の数馬茶屋(万屋)

 「鍵屋ノ辻」南西奥に建っているのが「数馬茶屋」で、1634年(寛永11年)11月7日旧備前岡山藩士河合又五郎が、武芸の達人河合甚左衛門や桜井半兵衛奈良ら一行10人に護衛され、奈良から笠置を越え、伊賀国島ヶ原を通り、江戸へ下る途中、ここへやって来るのを待ち伏せ、兄渡辺源太夫17才を4年前河合又五郎19才に殺害された渡辺数馬が、松平郡山藩剣術指南役で姉婿の荒木又衛門ら3人の助太刀を受け、隠れていた茶屋です。河合又五郎ら一行11人が人目をはばかるようにして差し掛ると、荒木又衛門ら主従4人は彼らの前に立ち塞がり、仇討ちの主意を伝えて切りかかり、遂に大願を成就しました。
 伊賀越資料館(TEL 0595-23-5370)

 なお、「数馬茶屋」では、荒木又衛門が、仇討ちの朝、茶屋の主人に蕎麦(そば)と目刺の鰯(いわし)を注文しましたが、緊張している渡辺数馬に「今日の首尾を祈って、傍(そば)でゆわす(又衛門の出身地伊賀の方言で成就する)は目出度いことだ」と語り、今でも「数馬茶屋」の定食「祝膳」には、蕎麦と鰯が付いています。また、「数馬茶屋」の南側の直ぐ奥に「鍵屋ノ辻伊賀越(いがごえ)資料館」があります。相手は11人で4人を切ったのに、36人も切ったと云われる荒木又衛門はその後、歌舞伎や浄瑠璃に登場して、日本三大仇討ちの1つ「伊賀越仇討」で有名になり、その仇討に関する資料を多数展示しています。
 史学者・文豪「菊岡如幻翁旧宅跡」

 また、「伊賀越資料館」館内の裏庭に「河合又五郎首洗供養池」があり、館の西側が「鍵屋ノ辻公園」で「地蔵池」もあります。池の東側の道を南へ上って、「淨蓮寺」と「金傳寺」の間を通り東へ向かい、国道422号線を渡って、三筋町の四つ角を右に曲がって南へ行くと、次の四つ角の北西角に石碑「菊岡如幻翁旧宅跡」が建っています。昔、ここに豪商の久米屋市左衛門が住んでいて、彼の先祖は源三位頼政の流れをくむ菊岡丹後行任と云い、3代行正の時、藤堂高虎の城下建設に従い、久米村から移り住み、両替質受けを家業とし、4代後が市左衛門行宣で、彼は地史、郷談を著し、隠居して号を如幻(じょげん)と云います。



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