伊賀上野  その9
 城山地蔵(通称、延命地蔵)

 県道56号線に沿って、「恵美須神社」の直ぐ東が浄土宗、紫雲山「蓮池寺」で、みの虫庵三代目「服部猪来」の菩提寺です。更に大通りを東へ行って、途中から大通りを外れ、左やや斜めに入って東へ向うと、近鉄伊賀線「茅町(かやまち)駅」へ突き当たって、時々ペイント列車、銀河鉄道999でお馴染みの松本零士がデザインした「忍者号」と「くノ一号」が運行され、駅横のお手洗の北側に4月上旬見事な花が咲く桜が植わっています。また、駅の手前を左に折れて、北へ向うと「寺町通り」、左(西)側に「城山地蔵」が祀られ、元は「上野公園」内にあった「平楽寺」、「薬師寺」の地蔵を貰い受け、「大超寺」に祀ったのが始まりで、延命尊として多くの参拝客が訪れます。
 上野城下の「寺町通り」

 「城山地蔵」の前の通りが「寺町通り」です。この辺りは、旧上野城下町の東端部に位置し、軍備堅固な城下町の普請を目指した藤堂高虎が、有事の際にお寺を法城として使用することを考え、この一郭に寺院を結集させたのが寺町の創設の始りです。南北に長い通りは、約600mあり、その区間は景観に気をつかい電柱が撤去され、由緒のある7つのお寺が建ち並び、それらの寺が白壁の美しい土塀で区切られています。なお、「寺町」の西、「銀座通り」の西側に「忍町」があり、藤堂高虎がいざという時のために忍者を集めて住まわせた所で、また「寺町」の北が商人の町として発達した「農人町」で、昔の名残を留めております。
 大超寺(だいちょうじ)の墓所

 「寺町」で最も南にあるのが、浄土宗仏生山「大超寺」ですが、明治10年「大善寺」と「超誓寺」が合併して「大超寺」になりました。藤堂藩家老藤堂玄蕃家代々の菩提寺で、墓所には、関が原の役で討死した初代「藤堂玄蕃良政」や、秀吉から高虎へ拝領され兜(現在お城で展示)をかぶって大阪夏の陣で討死した三代「藤堂玄蕃良重」の墓があり、また、1654年(承応3年)津藩許可の下に名張市の美旗(みはた)新田を開拓した伊賀加判奉行「加納蒔左衛門直盛」の墓や、明治24年来日中のロシア皇太子(後ニコライ2世)を滋賀大津で刺傷した大津事件(湖南事件)で知られる滋賀県警巡査「津田三蔵」の墓もあります。



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