生駒山周辺と信貴山まで  その14
 真言宗、豊山派、勝出山「長楽寺」

 「三里古墳」からまた西へ戻って、コンビニ「サンクス」の角を右へ曲がり、浦野診療所の前を通って、踏切を渡り、左へ行くと近鉄生駒線平群駅ですけど、そのまま真っ直ぐ西へ行き国道168号線を渡ると、「長楽寺」です。586年(用明天皇2年)聖徳太子建立で、太子が仏敵の物部守屋を討伐する時、ここで石(現在本堂の前にある鑑石「かがみいし」)の上に坐り、軍法を鑑(かんが)み、護法四天王に祈念して曰く「我をして敵軍に勝たし給えば必ずここに寺塔を建立して神仏を弘通せん」と、そしたら毘沙門天王が現れて軍法を授け、戦勝を得たので、ここに毘沙門天本地仏「聖観音立像」を太子自ら刻み安置しました。
 県指定史跡「ツボリ山古墳」

 「長楽寺」の前が平群町役場で、観光地図があり、竜田川の平群橋を渡り右へ行くと平群町中央公民館で近くの上山1号墳から出土の埴輪を陳列しています。公民館の角を左(西)へ曲がり坂道を200m登ると右側に並んだ住宅の一画に「ツボリ山古墳」があり、20m前後の円墳ないし方墳と考えられ、両袖式横穴石室が南に開口しています。石室内には玄室部、羨道部にそれぞれ1つずつ石棺が主軸に沿って安置され、両者共に刳抜式の家形石棺で、凝灰岩製です。羨道部の石棺は棺蓋を欠くけど、玄室部の石棺は棺蓋、身が共に残存し、棺蓋に6箇の縄掛突起が付き、築造年代は、石室構造や石棺の形式等から7世紀の初頭です。
 国指定重要文化財「藤田家住宅」

 「つぼり山古墳」から更に西へ上がると、三叉路の右が平群中学校ですが、標柱に従って左へ上がると、角の白壁の塀で囲まれた大和棟の民家が、「藤田家」です。解体修理の結果、1700年頃(元禄年間)に建てられ、大規模な改修が3回行われ、第1次改造は18世紀後半、第2次改造は1807年(文化4年)で、第3次改造が明治末年です。当初の外観は、古い絵図にもある1620年頃(元和年間)の前身建物と同じ茅葺(かやぶき)の入母屋造で、文化4年の改造時に大和棟に変わっています。段違いの棟で、母屋の本屋根は切妻造茅葺、両妻が高塀造本瓦葺。正面に外玄関・内玄関があり、右側に上段の間がありました。




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