生駒山周辺と信貴山まで  その15
 平群町福貴の「普門院(ふもんいん)」

 「藤田家住宅」から右へ行って裏を回り、西へ少し行った右の奥に法隆寺の高僧、「道詮律師(どうせんりっし)」の隠居寺で、福貴寺(ふきでら)の塔頭の1つ「普門院」があり、今にも倒れそうな普通の民家の造りで、今は無住ですが、中央の部屋を仏間にして道詮律師の念持仏であった重文「聖観音立像」を安置しています。聖観音は、高さ約1m、檜の一木造で、ずんぐりした身体構成、高く太い宝髻、奥行きの深い体躯、胸部、腹部のくびれに肉感敵な表現が見られ、天衣は飜波式(はんぱしき)と呼ばれる大波、小波を組合せた模様で、貞観(しょうがん、貞観年代)仏の特長をよく示し、平安時代初期860年頃の作です。
 平群町福貴の「白山(はくさん)神社」

 「普門院」から真っ直ぐ民家の間を抜け南へ出て、崖を下りた所に「白山神社」が鎮座しています。伊耶那岐尊(いざなぎノみこと)、伊耶那美尊(いざなみノみこと)を祀っていた福貴寺の神宮寺で、明治初め神仏分離で独立して、森垣内(かいと)の小森神社と栗坪垣内の三十八社神(子守神社)を合祀し、福貴の氏神になり、明治25年の明細帳に「或云白山大神」と記載され、享保14年(1892年)奉納の慈尊山白山大明神の「湯釜」や、「弥勒像」があり、周辺は慈尊山「福貴寺」の跡で、法隆寺の高僧「道詮律師」が居た頃は、60坊を数え、今も境内の奥に中ノ坊、西ノ坊などの塔頭(たっちゅう)跡が残っています。
 伝燈大師「道詮律師の墓」

 「白山神社」へ向かって左に、富貴寺三明院「弥陀堂」があり、等身大の塑像「弥勒菩薩立像」と木彫の「道詮律師座像」を安置し、更に左を廻った奥の所に「若宮」が鎮座し、更にその上の奥に「道詮律師墓」があります。道詮律師は、弘法大師の空海とも親交があり、伝燈大師(でんとうだいし)と号し、南都七大寺僧綱をも兼ね、荒廃していた法隆寺の夢殿の再建を果たされました。その功績により夢殿の本尊の脇に、国宝・塑像「律師像」が侍していますが、隠居後も、法隆寺の学僧らの請いを受けて、毎年夏期に百ケ日間三経を講じに往来し、民衆からは「福貴の道詮」と呼ばれ、厚く慕われていました。写真は、供養墓です。




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