磐余(いわれ)の道と多武峯街道  その2

 安倍文殊院(TEL 0744-43-0002)

 「土舞台」から南へ下りて車道を1つ越すと、大和十五寺の1つ「安倍文殊院」で、安倍山崇敬寺(すいきょうじ)文殊院と号し、東大寺と同じ華厳宗です。安倍氏の氏寺として、645年(大化元年)左大臣の安倍倉橋麻呂によって創建されましたが、松永久秀の兵火によって全焼して、南西約300mにある国史跡「安倍寺跡」から移り、1665年(寛文5年)現在の本堂・礼堂が再建されました。本尊は、高さ7mの「木造騎獅文殊菩薩像」、脇侍の「木造善財童子像」と共に国重文で、快慶の作ですが、但馬(京都府)の天橋立知恩寺「切戸の文殊」、奥州永井(山形県高畠町)「亀岡の文殊」と共に日本三大文殊の1つです。
 安倍文殊院の「金閣浮御堂」

 桜並木で囲まれた文殊池の「金閣浮御堂」は、昭和60年建立で、「仲麻呂堂」とも呼ばれていますが、717年(養老元年)19歳で遣唐使として中国に入唐し、長安に留まったまま奈良に帰れず、72歳で中国の土となった安倍仲麻呂に因み名付けられました。また、境内の東側にある朱色の「白山堂」は、加賀の国(石川県)の霊峰「白山(標高2702m)」を御神体とする白山神社の末社で、生きとし生きるもの全ての祖神といわれている白山比淘蜷_(はくさんひめノおおかみ、白山菊理姫)を祀っています。菊理姫は伊邪那岐尊(いざなぎノみこと)と伊邪那美尊(いざなみノみこと)の縁をとりもった縁結びの大神です。
 国特別史跡「文殊院西古墳」

 なお、「安倍文殊院」の境内に二基の古墳があり、本堂に近い方の文殊院西古墳は、高さ6.6mの円墳で、南に開く全長12.4mの横穴式石室へ入ると、花崗岩を整然と加工した切石の造が観察され、特に両側の石材数を揃える為、一石の中央に線を刻んで二石に見せ、また、一枚岩の天井の中央を削ってアーチ式にし、7世紀頃築造された阿倍倉梯麻呂の墳墓と云われ、今は玄室に「不動明王立像」を彫った石仏が祀られています。更に東へ50m行った所に文殊院東古墳があり、南に開口した横穴式石室の羨道に井戸があるので閼伽井窟(あかいくつ)とも呼ばれて、玄室内に「不動明王坐像」を刻んだ石仏が安置されています。




奈良観光表紙に戻る  桜井近辺の図を開く  前のページに戻る   次のページに進む