「笠置山」  その4

 「笠置寺」の修行場「千手窟(せんじゅくつ)」

 また、「十一面観音像」を安置し、「笠やん」の写真も飾っている「正月堂」の横を通って、更に北へ進むと、突き当たった所に「千手窟」が開口しています。1200年来、笠置寺の修行場であり、奈良東大寺の「二月堂」の「お水取り」の行法も実忠和尚がここで行中に感得されたものです。また、東大寺「大仏殿」建立時の用材は、木津川を利用して奈良へ送る計画が立てられましたけど、日照り続きで水量が少なく計画通りの「大仏殿」建立が危ぶまれたとき、実忠和尚がこの場で雨乞いの修法を行ったら、大雨が降って予定通りの完成を見ました。この故事から以後「大仏殿」修理の際には、その無事完成をここで祈願されます。
 「笠置寺」の「虚空蔵(こくぞう)磨崖仏」

 なお、「千手窟(せんじゅくつ)」は、「金剛界石(こんごうかいせき)」と「胎蔵界石(たいぞうかいせき)」の2つの岩の間にありますが、ここはその昔奈良東大寺の実忠和尚が、仏の世界に入った入口で、奧へ1里ばかり行くと、光輝く49院の兜率天(とそつてん)の世界が在ったと云われています。そして又「千手窟」前で右に曲がると隣に「虚空蔵磨崖仏」があります。810年代(弘仁年間)弘法大師が一夜で彫られた「磨崖(まがい)菩薩像」で、高さ12m、幅7mの「虚空蔵石」が断崖絶壁に立っており、天衣をひるがえして坐した「磨崖菩薩像」は、奈良時代の優美な彫り線を見事に刻んでくっきり表しています。
 「笠置山」の「胎内(たいない)くぐり」

 また、「虚空蔵磨崖仏」を仰ぎ見て更に北へ行くと「胎内くぐり」があります。笠置山の修行場の入口でもあり、通常行場入りする前には、滝で身を清めるのが普通ですが、笠置山には滝がないため、ここの岩をくぐり抜けることにより身を清めたそうです。なお、現在の「胎内くぐり」は、江戸時代の1850年代の安政年間に続発した前後13回の「安政の大地震」、特に1855年(安政2年)10月2日の大地震では江戸でも寺葬された死者だけで約7000人にのぼりましたが、この時に天井岩が落下したので、それ以後切り石の天井となっています。狭くて長い10数mの岩のトンネルをくぐる事によって身が清められます。




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