「笠置山」  その5

 「笠置山」の「ゆるぎ石」

 少し薄暗い「胎内くぐり」を抜けると、「太鼓石」で、岩の窪みを叩くと不思議な音がして、更に進むと崖の縁に大きな「ゆるぎ石」が2個置かれています。1331年(元弘元年)9月28日に第96代後醍醐天皇がここら辺りで鎌倉幕府軍方から奇襲を受けた所で、「ゆるぎ石」は、奇襲に備えるための武器としてここに運ばれて来た石ですが、なにせ奇襲が雨の降る深夜だったので皇軍が気付かず、「ゆるぎ石」もその時に使用されることなく、いまだに置かれたままで、ここに放置されています。なお、「ゆるぎ石」はその重心が中央にあり、人の力でも動くため「ゆるぎ石」と云われていますが、ちょっとの力では動きません。
 「笠置山」の「平等石(びょうどういし)」

 「ゆるぎ石」の所で左へ曲がると、横に「平等石」があります。昔行者が「平等石」の周囲を廻って行をしたと云われ、ちょっと足元が危ないけど、上へ登ると、視界が開け、ここからの眺めは素晴らしく、また江戸時代には、月見の場所でもあったと云うのもうなずけます。なお、更に進むと「平等石」の下が、他の岩とに夾まれた狭い通路で、「蟻のとわたり」と云われている所です。まさに蟻の行列の様に一列になって進まないと前に行かれません。また、これらの巨石や奇石は、2000年前から笠置山での信仰の対象で、花崗岩の大岩の前から弥生時代の有樋式石件(ゆうひしきせっけん)も出土し、巨岩が連立する霊域です。
 「笠置の城」の「二の丸跡」

 「蟻(あり)のとわたり」を抜けると、後醍醐天皇行在所跡の北側一段下にある「二の丸跡」で、太平記には、「笠置の城は、山高くして・・・」と書かれていますが、笠置山が後醍醐天皇の仮皇居でありましたけど、正式な築城はなされていません。しかし、室町時代以降に山頂の行在所の跡を本丸とみたてたので、そこから一段下で写真の様な東屋のあるちょっとした広場を「二の丸跡」と呼ぶようになりました。なお、ここから東に三重県島ケ原の辺りも見渡せて、また真下の「木津川」対岸に750mの「笠置トンネル」を抜け、蛇行しなから流れる「木津川」沿いに走る国道163号が伊賀上野の方へ延びているのも見えます。




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